TOPICS008:サヴィニャックとともに旅を その② 17.04.2018

サヴィニャックの仕事としては、最初期のエディトリアル・デザイン、パンフレット「夏の外国旅行」(1935年)は、旅行鞄の表現に「写真」に対する意識、地図との組み合わせやタイポグラフィは「構成主義」の志向が感じられ、全体のまとめ方には、その頃サヴィニャックが師事したA.M. カッサンドル(1901~68年)の影響が窺えます。
ここで関心がそそられるのは、年齢的には6歳しか違わず、しかし当時のキャリア、知名度で雲泥の差があった両者の出会いです。まず、コレージュ(フランスの4年制中等教育機関)を中退したサヴィニャックが、パリ地域公共交通公団STCRP。現・パリ市交通公団)の見習い図案画工を経て(在職1923~24年)、ロベール・ロルタック広告アニメーション工房画工も辞め(在職1925~29年。但し28~29年は兵役のため一時離職)、フリーランス活動の第一歩を踏み出した頃、すでにカッサンドルは、「通りすがる者の視線を瞬時にして釘付けにする」ポスターで、花形デザイナーの地位を築いていました。なかでも、本展出品作の《北部鉄道:快速、贅沢、快適》(1929年)

など、1920年代後半におけるカッサンドルの「鉄道ポスター」は名作揃いです。
1931年になると、カッサンドルは、やはりフランスのモダン・グラフィックの第一人者シャルル・ルーポ(1892~1962年)と共同で、広告代理店(今日のデザイン事務所)「アリアンス・グラフィック社」を設立。その肝煎りを務めたのが、1926年以来、カッサンドルのポスターを制作したレオナール・ダネル工房リールの美術印刷社)のモーリス・モラワンでした。前述の《北部鉄道:快速、贅沢、快適》がダネル工房によるのは、言うまでもありません(画面中下に「IMP. L. DANEL – LILLE=リール市、L. ダネル印刷」の印記)。


一方、独学・実務経験の乏しさもあって、チャンスに恵まれなかったサヴィニャックは、1933年、一念発起してアリアンス・グラフィック社を訪ねます。そして、アポ無しの飛び込みだったにもかかわらず、カッサンドルに会うことが叶い、すぐさまポスター1種とチラシ2種の仕事を与えられたのです。ところが、翌年にモアランが急死したため、同社は倒産・解散に追い込まれ、以降、サヴィニャックは、カッサンドルの私設アシスタントとなりました。この時代にサヴィニャックが手がけた《北部鉄道:ディーゼル特急》(1937年)

は、カッサンドルを踏襲した「(超)一点透視図法」のスタイルで、丸みを帯びた流線形が特徴的なディーゼル特急車両「34/37形」を全面に打ち出したもの。
制作はパリのダネル工房ですが、興味深いことに、消滅したアリアンス・グラフィックの社名が使われています(画面右下に「ALLIANCE GRAPHIQUE|L. DANEL|Paris=パリ市、アリアンス・グラフィック/L. ダネル印刷」の印記)。

また、同じ図案でありながら、下半分の文字情報(本作「ディーゼル特急|パリ~ブリュッセル3時間|パリ~リエージュ3時間50分」)が異なる色違い版も存在し(別作「ディーゼル特急による速達な旅|パリ~リール2時間25分」)、当時、カッサンドルの名声を借りた「旅物」が、どれほどクライアントと大衆にとって魅力的だったかは言わずもがな、として良いでしょう。(続く)

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本展の第一会場・練馬区立美術館の開催は、大変な賑わいのうちに無事終了いたしました。いよいよ来る4月29日(日)からは当館で始まります。期待の第二会場で初めて観覧される方はもちろんのこと、練馬へお越しになった方も、ロケーションや空間が異なる宇都宮を再訪し、「サヴィニャックとともに“北関東”の旅を」味わっていただければ幸いです。また、図録を買いそびれた皆さんも、ぜひご来館くださいますようお願い申し上げます。

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