二つの教会の歩み①1878~1888年

二つの教会の歩み①1878~1888年 作成:church2023.jp

今日、カトリック松が峰教会日本聖公会 宇都宮聖ヨハネ教会として知られる二つの教会のうち、教会の発足で先行したのは前者でした。

宇都宮天主公教会の発足

 宇都宮におけるローマ・カトリック教会の伝道拠点の設立は、1888年(明治21)春とされます。
 その二年前の1886年(明治19)1月、栃木県河内郡上三川村(上三川町)に上三川教会(現・カトリック上三川教会)が置かれ、5月からパリ外国宣教会イッポリト=ルイ=オーギュスト・カディヤック司祭が霊的指導を行うようになりました。それから二年を経た1888年5月には、河内郡宇都宮川向町(宇都宮市川向町)で伝道学校が始まります。
 この間、カディヤック司祭は巡回伝道というかたちで宇都宮を頻繁に訪れました。
 こうして宇都宮天主公教会(現・カトリック松が峰教会)が発足しますが、他の多くの教会と同様、当初の活動の場は仮設的なもので、そのための固有施設の充実は次の段階となります。というのも教会の本質は建物ではなく、信仰で結ばれた人々の組織にあるからです。

イッポリト=ルイ=オーギュスト・カディヤック司祭[『宇都宮教会献堂式記念絵葉書』より「宇都宮教会創立者兼大恩人故カヂャク師」]1932年発行 所蔵・画像提供:カトリック松が峰教会

イッポリト=ルイ=オーギュスト・カディヤック司祭
Hippolyte-Louis-Auguste CADILHAC, Prêtre

1859年3月17日、フランス帝国アヴェロン県ラ・キャヴァルリーに生まれ、ベルモン小神学校、ロデ大神学院で学ぶ。1879年、パリ外国宣教会に入会。1882年、司祭叙階。同年12月26日に来日、築地居留地(東京都中央区明石町)の築地天主公教会(現・カトリック築地教会)で日本語を習得。1883年(明治16)以降、フランソワ=ポーラン・ヴィグルス司祭の巡回伝道(千葉・茨城・栃木・群馬・福島の各県)に同行。1888年(明治21)春、宇都宮天主公教会(現・カトリック松が峰教会)を設立。1891年(明治24)、ヴィグルス司祭の関東巡回を継承。1893年(明治26)、群馬県前橋市に赴任。1895年(明治28)、宇都宮に帰任し、教会を河内郡宇都宮町松峯町(宇都宮市松が峰の現在地)へ移転。1908年(明治41)、東京府東京市小石川区関口台町(東京都文京区関口)の玫瑰塾に赴任。1910年(明治43)、宇都宮に帰任。1912年(明治45/大正元)、東京大司教区副司教を拝命し、月に一度、関口台町の小石川聖マリア教会(現・カトリック関口教会)に出張。1920年(大正9)、東京大司教区司教代理を拝命し、毎週火曜日、関口台町に出張。1922年(大正11)冬、病臥(翌春まで)。1927年(昭和2)春、病臥(5月まで)。1930年(昭和5)4月以降、病臥(のち関口台町で療養生活)。同年11月19日、小石川聖マリア教会で帰天。同月22日、宇都宮天主公教会墓地に埋葬。

宇都宮天主公教会(初代聖堂時代)のカディヤック司祭(後列中央)、小林秀行伝道士とその家族 撮影年代不詳 カトリック松が峰教会 編(1980)『松が峰教会誌:カヂヤク神父帰天50周年記念号』宇都宮:カトリック松が峰教会 所収 所収文献所蔵・画像提供:カトリック松が峰教会