TOPICS022:「サヴィニャックをめぐる言説」の設置 05.06.2018 ※6月14日 最終更新

サヴィニャックをめぐる言説

美術であれデザインであれ、また、造形に限らず芸術作品に対する理解を深める手立ての一つとして、つくり手と第三者、同時代や後世の人々の「ことば」を知るのは有効です。もちろん、それが非常に主観的であるとか、謎めいている、あるいは専門的な記述の場合、少し難易度が高いかも知れません。それでもなお、たとえば「私は、モンサヴォン石鹸の牝牛のおっぱいから生まれた」というサヴィニャック自身の一言は、とても含蓄があり、作品と、その創造的な世界に直結する扉を開いてくれます。
このことを鑑みて、「サヴィニャックとデザイン史の本棚」で取り上げた書誌から、サヴィニャックが何を発言し、他の人々が彼についてどのようにコメントしたのかを紹介するページを設けました。内容は、随時更新いたしますので、どうぞお楽しみに。(6月14日 最終更新

●レイモン・サヴィニャック
Raymond Savignac:1907~2002年)

「私が自分のポスターに、ギャグや、冗談や、グラフィックな警句を使うのは、まず第一に私がそういうのが好きだからで、第二には、人々が生活に惜んでいて、それを愉しいものにするのは私たちデザイナーの義務だと思うからである。街を歩いている人たちは、まるで馬や馬車のように眼かくしをしているみたいだし、あるいは、自分だけの望みや怖れを覗きこんでいる。なにかセンセーショナルなものだけが、彼を自分の殻からひっぱりだして、彼をとりまく世界に一役買う気にさせるのである。ポスターというものは、一種の視覚的な噂の種(ヴィジュアル・スキャンダル)なのである。ポスターというものは、しげしげと観察されるものではなくて、見るものなのである。視覚の法則がそのフィルムをきめる。瞬間的に見る人をつかまえる力をもっていなければならない。通行人が一秒の何分の一かで、そのポスターのいっていることを、しっかりと把まえられるようなものでなければならない。(以下略)
GRAPHIS, Vol.19 No.109, Amstutz & Herdeg Graphis Press, Zurich, 1963, pp.377-378(和訳は東光堂書店による)
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(前略)私は通常、二つの異なるアイディアを出発点とし、これらの融合を試みる。《牛乳石鹸モンサヴォン》の場合、それはモンサヴォンの固形石鹸と、牛乳を意味する牝牛だった。石鹸を牝牛に載せても、その逆でも良く、いずれにせよ典型的、あるいは常套句のような一体的イメージとなる。コロンブスの卵の逸話に少し似たやり方とも言えるだろう。ちなみにコロンブスは、卵の尻を潰すところに閃きがあった。これに対して私は、生活を彩り、ポスターに論理性を与える発想で、非常に掛け離れた二つのイメージをどのように結び付けるか、その発見こそを制作の勘所としている。こうして、牝牛のおっぱいから流れ出る乳がそのまま石鹸と化すイメージが生み出され、自身のアイディアを第三者へ伝達する鍵となった。但し、イメージの融合にあたって、どこまでが意識的に構築され、どこまでが閃きによるのかは、自分でも定かではない。ともあれ私は、平凡なイメージを衝撃的なものに変え、荒唐無稽なものには道理をもたらす。私の方法論の重要なポイントとして、広告される製品に命を吹き込むことが挙げられる。要するに、個々の製品は、単にグラフィック・デザイン上のあり触れた構成パーツであってはならない、と捉えている。ちなみに多くのポスターでは、この傾向が顕著に見られ、製品のイメージがないがしろにされがちである。逆に、私のポスターのなかでは、製品が役者となり、台詞を話すような存在として扱われる。(以下略)
Walter Heinz Allner, Posters, Reinhold Publishing, New York, 1951, pp.98-99
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(注1)本書に掲載されたサヴィニャックのテキストは、実は『グラフィス』誌に見るテキストのロング・ヴァージョンで、後者においては、上記の箇所や具体的な事例の解説などがカットされています。
(注2)サヴィニャックが言う「衝撃的だが筋の通った融合イメージ=命が吹き込まれた広告対象のイメージ」は、ある種の「一発芸」ですが、アイディアと類似・同一のイメージが別の作品で使い回されています

たとえば、《牛乳石鹸モンサヴォン》で話題を呼んだ「牝牛のおっぱい・乳+製品」は、少し構図を変えて《ヨープレイト》となり、ボツ案で終わった《『フランス・ソワール』紙》のための「新聞(媒体)+読者(社会)」は、そっくりそのまま《『ヘット・ラーツテ・ニウス』紙》で採用されました。この辺に、サヴィニャックの「ゆるさ・したたかさをあわせ持つ仕事ぶり」「言説と表現のずれ」が感じられて興味深いところです。

●アラン・ヴェイユ
Alain Weill:1946年生まれ、ポスター史家)

「奇抜な発想と常識を覆す表現で人の意表を突き、強烈な印象を与えながらも明快にメッセージを伝える。そして独特の筆致で愛らしいキャラクターを描き出し、適度の簡略化された表現が後味を柔らかくスッキリとしたものにしている――それがレイモン・サヴィニャックの一貫した創作姿勢である。(以下略)
『アイデア』 第45巻・第6号(通巻265号), 誠文堂新光社, 1997年, p.7
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●河野鷹思
(こうのたかし:1906~99年、グラフィック・デザイナー)

(A. M. カッサンドル、ポール・ランド、アブラム・ゲームズらによって)異状なまで純化された畫面處理が、次から次へと大衆の心を把握して行った力は大きなものであろうけれど、然し何時の間にかこれ等の作品は美しい額椽におさめられて仕舞った。そして眞空狀態のガラス箱の中で剥製化されてポーズを作っていながらも、これ等の作品が何を語ろうとしているかという事には半ば無關心な大衆の前に美しく、默りこんで居たようである。この時、大衆の肩を、ポンと一つ、レイモン・サヴィニャックがたたいたのである。(中略)彼のこの單純さというものは全く安易なものに見えるかも知れないが、實に長い沈思を通して、非本質的なものを次々に除去した結果に外ならないという事である。(中略)サヴィニャックは私達の生活のための商品に良識に滿ちた、剛健な生命を通わせる。サヴィニャックに輸血される商品は、簡單に大衆と握手して仕舞う。(以下略)
商業デザイン全集編集委員会 編 『商業デザイン全集』 第五巻「作家篇」, ダヴィッド社, 1952年, p.175
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●勝見 勝
(かつみまさる:1909~83年、デザイン評論家)(前略)non-commissioned poster(注文によらずかく形式)の展覧会を開いて、作家がポスターデザインに自由なアイディアを盛りこむ可能性を開き一躍一流の列に伍した。彼のユーモラスなアイディアと、直截な表現は、民族をこえて万人に訴える力を持っている。(以下略)
勝見 勝 編 『世界の商業デザイナー80』 ダヴィッド社, 1958年, p.12
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●亀倉雄策
(かめくらゆうさく:1915~97年、グラフィック・デザイナー)

「初めてサヴィニャックのポスターを見た時の衝撃は、今なお鮮明である。(中略)それは、(フランスの美術雑誌を踏まえて)サヴィニャック、ヴィルモ、ジャック・ナタンなどによる「ノン・コミッションド・ポスター展」の開催紹介記事だった。(中略)このノン・コミッションド展は、デザイナーのデモンストレーションとしては予想外の成功をおさめた。とにかくサヴィニャックたちの試みはアメリカにも日本にも影響を与えたからだ。(中略)(カッサンドルとの比較について)見る人に心理的な衝撃を与えるという共通した思想を持ちながら、この師弟の手法は正反対だ。(中略)第一、サヴィニャックは明るい。ユーモラスだ。洒落ている。そして見る人をギョッとさせながら笑わせてしまう。(中略)サヴィニャックの刺激は、カッサンドルの斧で窓をたたき割る(注)のではなく、アコーディオンを弾きながら曲芸師がひっくり返ったり踊ったりしながら部屋に入ってくるようなものだと思う。(中略)フランスのポスターは、ロートレックによって伝統を作り、カッサンドルによって精神を作った。そしてサヴィニャックによって文化を作った、と私は思っている。」
(注)カッサンドル曰く「絵画は、人を訪問する時にまず入口でベルを押して、ドアを静かに開けてから家に入る。ポスターは、突然窓を斧でぶち破り、土足で飛び込む。しかも伝達目的は簡単に、電報のようでなければならない」
西武美術館 編 『フランスのユーモアとエスプリ サヴィニャック ポスター展』(展覧会図録) 西武美術館, 1989年, pp.8-9
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亀倉雄策 『亀倉雄策の直言飛行』 六耀社, 2012年(新装版), pp.41-46
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●中原佑介
(なかはらゆうすけ:1931~2011年、美術評論家)

「グラフィック・デザイナー――そのなかでも、とりわけポスター・デザイナーの仕事は、そこに、美術におけるマスコミュニケィションのひとつのありかたがみられるという以上に、芸術の方法における「サギ」という要素についてかんがえさせる点で、わたしの興味をひきつける。(中略)(ヴィルモとの二人展を踏まえて)この、はじめてのノン・コミッションド・ポスター展を指して、サヴィニャックが、コマーシャリズムにたいするレジスタンスの意志を表明したのだというひともあるが、わたしは、そういうおおげさないいかたでなく、かれが、スポンサーにたいして、自己の個性を逆に利用しようとしたものだとおもう。(中略)(ロベール・ゲランのコメントを踏まえて)熟考といい、利益といい、工夫といい、あるいは、非常といい、気まぐれといい、さらには、独創性といい、無遠慮といい、サヴィニャックは、サギ的要素を、完全にそなえているようにおもわれてくる。そして、こうしたかれの、ポスター・デザインのうえでの具体的な手口が、いわゆる「ヴィジュアル・スキャンダル」というやつなのだろう。(中略)サヴィニャックの仕事は、あまりに個性がですぎているため、ポスター・デザイナーの仕事としては機能性が減少しているという批判もある。(中略)デザイナーの順応性という観点からみるならサヴィニャックの方法は、独自性がつよすぎるのかもしれない。したがって、いったん、スポンサーが嫌悪をいだくや否や、かれが失墜してゆくのは、あきらかだろう。(中略)ポスター・デザインに、芸術におけるサギという要素をみとめる点では、わたしは自説を変更しないが、ポスター・デザイナーは、二流、三流のサギ師と同様、いつかは、没落してしまいかねないものではないかという気がする。(以下略)
『みづゑ』 637号, 美術出版社, 1958年, pp.6-8, 13, 16
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●福田繁雄
(ふくだしげお:1932~2009年、グラフィック・デザイナー)

「人間の心に訴える面白さやおかしさという舶来のユーモア(HUMOR)の語彙は、この世紀末の現実の世相の器には、優しくまろやか過ぎて納まりそうにない。それは、現実の日常生活を取り巻く社会、地球上のあちこちで昼夜をおかず繰り広げられ続けている愚事愚行が、面白いはずの漫画以上に面白く、馬鹿馬鹿しく、不条理でおかしいからだと思う。(中略)明るく笑える楽しいポスターの系譜は、フランスのレイモン・サヴィニャックに始まって、レイモン・サヴィニャックに終わるのではないかといわれるのが現況である。」
サントリーミュージアム[天保山]編 『国際 “笑” ポスターSHOW』(展覧会図録) サントリーミュージアム[天保山], 1999年, p.6
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●西脇友一
(にしわきゆういち:1932~2016年、グラフィック・デザイナー)

「わたし(注)は、今証言されたカッサンドル氏より6歳ほど年下ですが、氏が20歳台後半から40歳くらいまでの比較的若い時期に活躍されたのに比べて、わたしが世に出たのは50歳を過ぎてからですから、実際の活動期には30年余りの開きがあることになります。(中略)カッサンドル氏をはじめ、同世代のシャルル・ルポやポール・コラン、レオネット・カッピエロ、ジャン・カルリューといった人びとの作品は、そのダイナミズムとモダーンな造形や色彩においてまさに一時代を画したものであり、わたしとしても敬意を表するにやぶさかではありません。しかしこれらは、その完璧なまでの造形性と美意識のために、いつかは美術館の壁面を飾るだけの鑑賞用ポスターになってしまうだろう、というのがわたしの考えでした。(中略)(以下略)笑いによってポスターの権威主義や事大主義を否定することによって生まれたのが、わたしの『ヴィジュアル・スキャンダル』であり、カッサンドル氏のそれとの最も大きな相違点だといえます。わたしは、美意識や学問の有無、性別、年齢、国籍などという区別を乗り越えた人間の魂そのものに、フランス人特有のエスプリを活かした“視覚的な企て”によって、スキャンダラスに迫ることを試みました。(中略)ポスターの可能性といえば、それまでのポスター制作上の常識にはなかった、Non-commissioned Poster(注文によって描くのではなく、作家の主体的創作によってポスターを作り、それをスポンサーが買い取って利用する方式)も、わたしが最初に試みたものであることを付け加えておきます。最後は柄にもない手柄話になってしまいましたが、以上でわたしの『証言』を終わらせていただきます。」
京都国立近代美術館 編 『フランスのポスター美術』 講談社, 1979年, pp.196-197
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(注)あたかもサヴィニャックにインタヴューを行い、それを書き起こしたようなスタイルの文章ですが、文献・資料に基づき、「時代を証言するポスターと、これに関わった人物の証言」という趣向で、西脇友一が独自に執筆。底本となるデザイン書の記述や、雑誌に掲載されたサヴィニャックの言葉を踏まえつつ、筆者の視点や考えが盛り込まれているところがポイントです。「20世紀後半の証言者」という設定のサヴィニャック以外では、西脇自身(1950年代)、あるビラ貼り職人A氏(18世紀末~19世紀初頭)、ジュール・シェレ氏(19世紀後半)、アリスティド・ブリュアン氏(19世紀末)、カッサンドル氏(20世紀前半)、あるマヌカン嬢(20世紀中頃)が登場し、このうち「ビラ貼り職人」と「(ポスターに描かれた)マヌカン嬢」は、もちろん架空の人物に他なりません。

●矢萩喜從郎
(やはぎきじゅうろう:1952年生まれ、グラフィック・デザイナー/建築家)

(前略)(《牛乳石鹸モンサヴォン》によるデビューを踏まえて)それは、1948/50年、悲惨な第二次世界大戦が終結してからわずか数年しか経ていない時期のことである。苦しい時代を乗り越えた人の心の飢えを癒す為にも笑いが必須であり、その様な時代に、健康的であっけらかんとしたユーモアとエスプリを包含した、サヴィニャックのポスターが挿入されたと言っていい。サヴィニャックがポスターに可能性を託したのは、フランス文化への上質なコミットメントだけではなく、人の気持ちを柔軟にしたり、膨らみのある感情をもたらすことだった。(中略)ルーマニア生まれのアメリカ人、ソール・スタインバーグは、アルファベットや記号等から発せられる様々な言葉を画面に登場させ、作品を見る人に、言葉の意味を考える思索の場を提供した。(中略)一方、サヴィニャックのポスター全てに通じることは、言葉そのものを題材として登場させるのではなく、内容をよく噛み砕いて、インパクトを与える視覚的操作を含みつつ、ユーモアとエスプリを引き上げた世界だった。(以下略)
矢萩喜從郎 編 『レイモン・サヴィニャック』(『世界のグラフィックデザイン』 97巻) ギンザ・グラフィック・ギャラリー, 2011年, pp.4-5
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●小柳 帝
(こやなぎみかど:1963年生まれ、編集者/翻訳家)

(前略)(カッサンドルに私淑したこと、ヴィルモとの二人展を経たデビューを踏まえて)サヴィニャックは、それから1950~60年代を通して、フランスの広告界の第一線で活躍してきたが、1970年代にはその輝きに翳りが見えはじめた。折しも広告は、イラストレーションから、写真とタイポグラフィ主体のものに切り替わっていた頃だった。どうして古巣のパリを離れ、トゥルヴィルにやって来たのかと訊くと「もうパリは私を必要としてないことに気付いてね」と笑いながら答えるサヴィニャックの横顔は、どこか寂し気だった。「でも、ここはとてもいい町だよ。きっと君もとても気に入ると思う。」そう答えながら、サヴィニャックはフッと窓の外に視線を移した。自分を仮託するように、好んでカモメを描いたのがわかるような気がした。(以下略)
レイモン・サヴィニャック著, 小柳 帝 日本語版監修 『サヴィニャック ポスター A-Z』 アノニマ・スタジオ, 2007年, pp.106-107
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