TOPICS003:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その③――当時の業界 07.04.2018

広告代理店「広告コンソーシアム」のインハウス時代に「お蔵入り」となった原画が、求職中に開催した二人展の会場で、馘にされた代理店・親会社のトップに見出され、輝かしいデビューにつながる――《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)のポスター誕生をめぐるエピソードは、一見、ほほえましい華やぎに満ちています。
しかし、代理店の側から見れば、アイディア段階の広告図案が、退職したサヴィニャックの手元に個人の仕事として残されていたことは、信義・権利の点で、少なからぬ問題を引き起こしかねなかった、と想像できます。クライアントであるロレアルの側においても、たまたま広告対象と関係者が完全に一致する珍しい状況だったにせよ、永遠に忘れられたかも知れない名作を、短い年月の間に再発見し、効果的に活用できたので万々歳、という美談では済まなかったのではないでしょうか。但し、こうした分析は、あくまでも「現代のコミュニケーション・デザインのつくり方」に照らした推論です。
そこで、このエピソードを「当時の業界」の眼差しで整理すると、たとえ商業美術の枠組みに置かれ、純粋絵画ではなくグラフィック・デザインの理論に従い、「絵+文字=広告図案」のかたちで制作されたものだとしても、原画はクリエイターの創造的な精神・活動に帰属する、という意識が、19世紀末~1950年代/1960年代のフランスのポスター作家には強かった、と言えます(アートの世界に近い)。サヴィニャックもご多分に漏れません。一方、原画を経済の論理で、しかも別種のクリエイティヴな力をもってポスターとして世の中に着地させノヴェルティなどの二次展開を図るのが、その頃のクライアントと広告代理店の役割でした(デザインの世界に近い)。

今でこそ、ポスターや他の印刷物(広告媒体)と原画(グラフィック作品)は、表裏一体の関係にありながら、同じ次元には存在しないもの、そして、違う次元にあるこれらを「一つの世界観」で統合するのがアート・ディレクターの腕の見せどころ、という「つくり方のルール」が社会に敷衍しています。ちなみにサヴィニャックは、ちょうど人々の考え方が変わり始め、コミュニケーション・デザインのつくり方が新天地に入る時代(1950年代/1960年代)に、本格的な制作活動をスタートさせました。
よって、本展に出品される作品群は、今日の感覚からすると、「どこまでサヴィニャックがディレクションに関わったのか」「なぜ自身のポスターの再制作を晩年に手がけたのか」といった、さまざまな不思議に満ちています。(続く)

※この連載トピックスの第一回第二回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。

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