TOPICS004:《牛乳石鹸モンサヴォン》をめぐるエピソード その④――サヴィニャックの姿勢 09.04.2018

《牛乳石鹸モンサヴォン》(1948/1950年)によるサヴィニャックのデビューは、ポスターに代表される「コミュケーション・デザインのつくり方」が変わり始めた時代(1950年代/1960年代)の出来事です。
「ポスター原画」の概念は、20世紀初頭には、画家による「」(これをトレースして美術印刷所が「文字」を添える)から脱却し、1920年代~1930年代になると、商業美術家(グラフィック・デザイナー)が工夫を凝らす「絵+文字=広告図案」へ進化を遂げました。以降、クライアントの要望と、社会の反応を踏まえた「絵+文字+アルファ(広告戦略や宣伝技術など、コマーシャル・プランニングの原理)」という認識も高まります。
但し、ポスターを制作し、世の中に広める実務は、作家のアトリエ、デザイン事務所、印刷所内のさまざまな部署、クライアントである企業や公共団体、これらの橋渡しや配布・掲出を行う広告代理店などの分業の上に成り立ち、この複雑な構造は、現代においても同じです。こうした分業を、創造的に統括・監督するのがアート・ディレクターの役割、とする発想が、「つくり方の激変」を促した「アート・ディレクター制度」にほかなりません。
よって、アート・ディレクター制度の浸透は、「原画を生み出す者」の姿勢に大きな影響を及ぼします。サヴィニャックの場合、一貫して自身の「絵」を大切にしながら、むしろ現場の判断に信頼を置き、分業を担う多くの人々とのマジックを楽しんだ印象を受けます。言い換えると、サヴィニャックは、それほど絵が上手いポスター作家であり、いわゆるアート・ディレクターとは異なる姿勢に徹した、として良いでしょう。
だからこそ、今から半世紀以上も前、という時代背景を考慮しても、同じ「牛」が、ヴァリエーションとなるポスターでは違う風貌を見せ、彼の「絵」に基づくノヴェルティも、姿かたちが若干相違するのです。晩年の再制作に至っては、後から分析してみると、実は良く出来た絵だった!という愉快な自画自賛だったのかも知れません。

[はみ出し情報]
何度も言及してきた「牛乳石鹸モンサヴォン」について付記すると、「私の=モン(mon)」「石鹸=サヴォン(savon)」を意味するフランスの家庭用(身体洗浄用)石鹸の誕生は、1920年に遡ります。当初はクリシーの「フランス石鹸社」の製造・販売で、やがてラヴェンダー香料入りの製品もお目見えしました(1925年)。1928年にはロレアルによって買収され、以降、フランスの著名ポスター作家を起用した広告展開が図られます。ファミリー・ブランドとしての定着は、もちろんサヴィニャックの「牛」と、やはり彼が手掛けたパッケージの功績が大きく、本展では、《ドップ&モンサヴォン:身体を洗って、良い匂いをさせて》(1954年)の画中(右側の女の子の手)に、フランスの家庭を席巻した「青いパッケージ」を見て取ることができます。その後、プロクター・アンド・ギャンブル(1961年)、サラ・リーH&BCフランス(1998年)、ユニリーヴァ(2011年)と親会社は変わりますが、往年の名ブランドは、新しいライフスタイルに合致したかたちで健在です。

※この連載トピックスの第一回第二回第三回も、ご一読ください。また、サヴィニャックの詳しい生涯年譜は、こちらをご覧ください。

この記事がお気に召したら「いいね!」をどうぞ。