TOPICS018:巨大ポスターをめぐって エピローグ 22.05.2018

この連載記事の第一回第二回で詳しく紹介したように、サヴィニャックが活躍した1960年代まで、ヨーロッパの大都市、とりわけパリでは、「外壁に糊で貼った巨大ポスター」を至るところで見ることができました。
では、こうしたポスターは、いつ頃から収集・保管、調査・研究、展示・公開の対象――美術館、博物館、資料館、図書館などに帰属する「作品・資料」になったのでしょうか。
それは、絵画や彫刻に代表されるアート(純粋美術)、また、芸術性の高い伝統的なものつくり(工芸)とも異なる「近代の産業・社会に供する創造的な事物(デザイン)」が領域として確立された19世紀後半から20世紀初頭に遡ります。言い換えると、デザインの黎明期には既に、ヨーロッパのさまざまな国・地域において、その頃は「産業工芸(インダストリアル・デザイン)」「商業美術(グラフィック・デザイン)」と呼ばれていた分野の成果、すなわち「製品」「広告」が、デザイン・ミュージアムの始まりこと「応用美術館」「美術工芸館」で管理されるようになったのです。専門の施設がない場合、博覧会や他の展示会場でお披露目があり、いわゆる美術館、歴史博物館などにもデザインの「作品・資料」が少しずつ仲間入りを果たしていきます。
フランスに目を向けると、1877年に「パリ装飾美術館(Musée des Arts décoratifs, Paris)」が設立され、1905年になって現在の場所に移ります。ポスターに特化した施設については、1898年という早い時期に計画が提案されたものの、実現に至ったのは80年後、1978年に「パリ・ポスター美術館(Musée de l’Affiche, Paris)」が開館します。ちなみに、栄えある開館告知ポスターは、サヴィニャックが手がけました。その後、名称が「パリ広告美術館(Musée de la Publicité, Paris)」と変わり、一時的な閉館を経て、装飾美術館の広告・グラフィック部門として再開しています。


ところで、パリであれ、他の街であれ、ポスターは、今のところ「巷に貼られてなんぼ」のコミュニケーション・デザインのツールに他なりません。一方、その役目を終え、ミュージアムで第二の人生を送るポスターは、パリの装飾美術館、本展でお世話になっているフォルネー図書館だろうと、展覧会を開催中の当館だろうと、「作品・資料」として取り扱われます。とするならば、本質的に「社会のなかで活きる・街を彩る広告」でありながら、もはや「貴重な文化資源となった印刷物」を展示するに当たって、どのように二つの観点を満たせるか、そのすり合わせを真摯に考えねばなりません。なかでも「巨大ポスター」は、難易度が高いと言えるでしょう。
一例として、《ヴィシー・セレスタン:鉄のように頑健》(1963年)を取り上げると、全体寸法が高さ318.0cm幅234.0cmの超大型です。広告としては、四枚の紙に印刷し、壁の上で貼り合わせたので、重なる部分によっては「紙の耳」が残され、接合部に「トンボ(目印)」が刷り込まれました。ポスター貼りの現場では、この耳が隠れます。
しかし、印刷所から直接入手したポスターは耳が残っており、作品・資料保護のために「ひと回り大きい麻布」で裏打ちするのがヨーロッパのミュージアムの常です。フィールドワークによって壁からはがして収蔵したものは、風雨にさらされて状態が悪く、なおさら丁寧に裏打ちされています。とは言え、巨大ポスターを完全に接合すると、大き過ぎて取り扱いが困難となります。よって、多くの場合、分割したまま、あるいは部分つなぎで裏打ちして保管せざるを得ません。

これを、「ポスターらしく」「安全に」展示するには、
*接合部を目立たないようにし、周囲の裏打ちもできるだけ隠す
*麻布と大きさによる「重み」に耐え、「しわ・たわみ」が生じないよう、丈夫なパネルに留める
*作品とパネルを保護するフレームが主張せず、展示壁と一体的に見える仕様とする
などの工夫が必要となります。


特に今回は、パリから作品が「ロール」で送られて来ました。もちろん裏打ちはされていますが、巻いて届いたものを伸ばし、それぞれの大きさ・状態に照らして、1点ずつ異なるマット、パネル、フレームを日本で作り、なおかつ全五会場へ巡回するための梱包・輸送・展示システムを編み出しています

これには、パリ市フォルネー図書館ティエリー・ドゥヴァンク氏(本展監修者)に相談しながら、開催五館の全学芸員、紙作品の修復家、額装スタッフ、美術搬送展示チーム、展覧会事務局の皆で知恵を絞りました。

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