人物略歴②上林敬吉

上林敬吉(1884~1960)
Keikichi KANBAYASHI

上林敬吉(70 歳台前半)1950年代後半撮影 画像提供:上林敬吉ご遺族

 1884年(明治17)5月12日、京都市上京区で生まれた上林敬吉は、日本聖公会の信徒建築家です。茨城県土木課、下田建築合資会社(横浜)、米国聖公会ミッション・アーキテクト(信徒建築家)のジェームズ・マクドナルド・ガーディナーの建築設計事務所(東京)を経て、ガーディナーが亡くなった1925年(大正14)に東京で事務所を開設しました。この時、ガーディナーが残した仕事を継承するとともに、米国聖公会ミッション・アーキテクトのジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニと協働を始め、後年は単独設計も行っています。1937年(昭和12)に事務所を閉めたのちは聖路加国際病院で、当初は病院理事会の指名建築家(1937年)、以降、1960年(昭和35)3月9日に勤務先で亡くなるまでの間、営繕課長として病院施設の増改築と管理、個人の立場では日本聖公会の礼拝堂の新築や戦災復興に携わりました。

[左]盛岡聖公会二代礼拝堂(現・日本聖公会 盛岡聖公会礼拝堂)全景 1959年以前撮影 盛岡聖公会 編(1959)『盛岡聖公会五十年小史:じゅびらぁて』盛岡:盛岡聖公会 所収[右]上林敬吉(45歳)、盛岡聖公会二代礼拝堂工事現場にて 1929年撮影 盛岡聖公会宣教100周年記念誌編集委員会 編(2008)『日本聖公会東北教区 盛岡聖公会宣教100周年記念誌:じゅびらぁてⅣ(歓ばしき声をあげよ)』盛岡:盛岡聖公会宣教100周年記念誌編集委員会 所収 ともに所収文献所蔵・画像提供:日本聖公会 盛岡聖公会

 ガーディナー事務所時代は、外国公館や貴顕の邸宅も担当しましたが、これら以外のほとんどは日本聖公会の施設です。バーガミニとの共作においては、工法・構造、平面と意匠を標準化し、カスタマイズも図る鉄筋コンクリート造の「白い礼拝堂群」を生み出しました。一方、単独設計では、その枠組みを超える独自な事例を残しています。

上林敬吉(71歳頃)、聖路加国際病院の仕事場にて 1955年頃撮影 橋本寛敏(1955)『近代病院の設備と機能:写真による解説』(病院全書8巻)東京:医学書院 所収 所収文献所蔵・画像提供:学校法人聖路加国際大学 (C)医学書院
聖路加国際病院 本館全景 1961年撮影(完成時)聖路加国際病院 編(1982)『聖路加国際病院八十年史』東京:聖路加国際病院 所収 画像提供:学校法人聖路加国際大学

学びを深めるための参考文献

これまで上林敬吉の生涯や業績については、詳しい調査が成されてきませんでした。よって本展の図録(記念出版)が最良の参考文献となります。