横浜クライスト・チャーチ
●教派
聖公会
聖公会(アングリカン・チャーチ)の日本宣教は、日米・日蘭・日露・日英・日仏修好通商条約の締結(1858年)を経て、1859年(安政6)に米国聖公会のジョン・リギンズ司祭、チャニング・ムーア・ウィリアムズ司祭(のち主教)が来日したのが始まりです。キリシタン禁制下の1862年(文久2)10月、ウィリアムズ司祭は東山手居留地(長崎県長崎市東山手)に英国聖公会の会堂を献堂しました。
同じ年の8月、英国聖公会のマイケル・バックワース・ベイリー司祭も来日し、山下居留地(神奈川県横浜市中区山下町)の駐日英国領事館付司祭となります。そして長崎と同様、居留英国人への便宜を図るため、横浜クライスト・チャーチが組織され、ベイリー司祭が着任しました。初代礼拝堂の聖別は、1863年10月18日(文久3年9月6日)です。
本礼拝堂は平屋建で、瓦葺の大きな切妻屋根を戴く簡素な中世復興様式を呈し、明治初期の聖公会建造物らしさを感じさせます。その後、塔屋の建造(のち取り壊し)、翼廊の増設などの改築・改修が行われます。
初代礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
現存せず
●年代
聖別1863年(文久3)
改築・改修1860年代後半(幕末・明治初期)、1879年(明治12)、1892年(明治25)
●設計・施工者
フレデリック・ブライン大尉(設計)、施工者不詳
●工法・構造
木骨石造平屋建、改築・改修後は塔屋付(のち取り壊し)
●様式
アングリカン・ゴシック・リヴァイヴァル
1901年(明治34)、横浜クライスト・チャーチは横浜市山手町(中区山手町)へ移り、6月2日にジョサイア・コンドル設計の二代礼拝堂が聖別式を挙げました。
典型的なアングリカン・ゴシック・リヴァイヴァルの礼拝堂ですが、煉瓦と煉瓦を緊結し、躯体に軽量鉄骨を埋め込むという耐震強度を考えた造りが特筆されます。
二代礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
現存せず
●年代
聖別1901年(明治34)
●設計・施工者
ジョサイア・コンドル(設計)、施工者不詳
●工法・構造
煉瓦造平屋建/2階建、軽量鉄骨補強、4層塔屋付(双塔)
●様式
アングリカン・ゴシック・リヴァイヴァル
しかし、1923年(大正12)9月1日の関東大震災には為す術がなく、以降、三代礼拝堂が完成されるまでは、簡素な仮施設で当面をしのぎました。
震災後、市街地建築物法に構造体煉瓦の使用禁止が盛り込まれたことを受け、教会建築は鉄筋コンクリート造(RC造)が主流を占めます。また、大谷石については、東京・横浜における震災復興(1924~1932年)の土木・建築材として重宝されました。これらを組み合わせたRC造・大谷石張の教会建築で最も早かったのが本礼拝堂です。
東南東に内陣があり、西北西に玄関を兼ねた塔屋を擁する礼拝堂は、完全な十字架形平面(バシリカ)により、翼廊の内陣寄りに広々とした小礼拝堂と礼拝準備室(南南西側)、集会室(北北東側)が置かれます。身廊は単廊式で、内陣と間口の幅はおおむね同一です。
身廊、翼廊が戴く急勾配な切妻屋根の支持体は鉄骨造で、棟木に取って代わるワーレン・トラスにシザーズ・トラス(鋏形洋小屋)を接合のうえ、堂内に露出する後者には木の化粧張が施されました。
外壁の大谷石は細工が丁寧で、塔屋を飾るレリーフは線的表現により、尖頭窓に嵌めたトレーサリー、玄関扉周りの飾り迫縁が眼を引きます。控え壁の水切りも、要所の断面を尖ったトレフォイル形に設えています。
全体のスタイルは、上林敬吉とバーガミニが協働した同時代の聖公会礼拝堂と同じく、ノルマン、チューダー、ゴシック・リヴァイヴァルを組み合わせたモダン・アングリカンです。
三代聖堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
横浜クライスト・チャーチ/横浜山手聖公会礼拝堂(神奈川県横浜市中区山手町)
●年代
聖別1931年(昭和6)
●設計・施工者
ジェイ・ハーバート・モーガン(設計)、施工者不詳
●工法・構造
鉄骨・鉄筋コンクリート造平屋建、大谷石張、3層塔屋付
●様式
モダン・アングリカン