建造物めぐり㉔聖霊修道院付属聖堂

ヒンデルとローマ・カトリック教会

 マックス・ヒンデルが札幌に居を定めた1924年(大正13)に先立つ20年は、日本のローマ・カトリック教会の変革期に相当します。
 幕末以来、居留地や開港場を拠点に、全国で伝道を進めたのはパリ外国宣教会でした。明治末期から大正年間にはさまざまな組織の来日が相次ぎ、地域の管轄体制も一新されます。伝道の一環として教育・社会福祉事業が盛んになった反面、関東大震災(1923年)はキリスト教界と一般社会に大きな衝撃を与えました。

日本におけるローマ・カトリック教会の宣教 作成:church2023.jp

 このような状況の下、1935年(昭和10)に横浜の事務所を閉めるまでヒンデルは、プロテスタント教会(改革派教会)の信徒にも拘らず、ローマ・カトリック教会の施設設計に力を注いだのです。

 なかでも1907年(明治40)に来日した神言会については、ヨーゼフ・ライネルス司祭との縁により、ライネルス司祭が知牧区長を務めた新潟知牧区、名古屋知牧区の建造物をいくつも手がけました。その出発点が1927年(昭和2)聖別の新潟カトリック教会聖堂(現・カトリック新潟教会聖堂)にほかなりません。

聖霊修道院付属聖堂

 新潟、名古屋の知牧区を歴任したライネルス知牧区長は、ローマ・カトリック教会として社会に貢献する事業を二つの区域で成し遂げます。
 石川県金沢市では、司祭時代から近代的な病院の設置に奔走し、聖霊奉侍布教修道女会の協力を得て、医療・社会福祉事業を実現しました。これが本修道院、聖霊病院と、関係施設の出自となり、ヒンデルは修道院の聖堂新築に参画しています。

聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)南西側全景 1931年撮影 社会福祉法人聖霊病院記念誌編集委員会編(1984)『聖霊の力を受けて:社会福祉法人聖霊病院創立70周年記念誌』金沢:社会福祉法人聖霊病院 所収 所収文献所蔵・画像提供:社会福祉法人聖霊病院

 聖堂の外観で眼を引くのは北東角の尖塔で、2層目の四隅を水切りのある控え壁の形状に設え、鐘を擁する3層目は八角形、その上に鍔付きのとんがり帽子のような八角屋根が聳えます。

聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)北西側全景 2021年撮影 撮影:church2023.jp

 内部との関係で見ると、北に置かれた内陣、半円形の後陣を囲む周歩廊の東端に当たり、塔屋のない西端とともに香部屋の機能を持っています。

聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)の模式図 作図:church2023.jp

 東西の翼廊を切り詰め、内部に収めた十字架形平面(バシリカ)に則るため、三廊式の身廊は南北に長い箱形です。差掛屋根を架けた側廊には半円アーチの二連窓、切妻屋根の身廊上部は円形の高窓が並びます。いずれも色ガラスを嵌めた抽象的な意匠で、南妻面も半円アーチ窓が続き、正面玄関は南東角に設けられました。

聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)東側廊 2021年撮影 撮影:church2023.jp

 ロマネスクが基調の内部は、板張・一部畳敷の身廊にも増して、色使いに驚かされます。

聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)2階ギャラリーから祭壇を望む 2021年撮影 撮影:church2023.jp

 方円柱頭の木製円柱は黒漆塗、列柱と、これらが支える垂れ壁や、筒形ヴォールトの横断アーチに金彩を施し、垂れ壁の内側は青の顔料で半円形をくっきりと彩っているのです。

聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)1階の木製円柱 2021年撮影 撮影:church2023.jp

 簡素な造りに尖塔が一つという外観は、スイスに見られる素朴な教会堂を下敷きにしたと考えられ、内部は加賀の伝統工芸を踏まえています。この両者の融合は、風土に根ざす建築を主張したヒンデルならではの創意の賜物として良いでしょう。

聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)壁画・天井画 2021年撮影 撮影:church2023.jp

聖霊修道院付属聖堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂(石川県金沢市長町)
●年代
聖別1931年(昭和6)、壁画・天井画完成1940年(昭和15)
●設計・施工者
マックス・ヒンデル(設計)、岩永伊勢松(施工)、コンスタンチン・マチョシェク司祭(壁画・天井画制作)
●工法・構造
木造2階建、3層塔屋付
●様式
特定の様式によらない(内部はロマネスクを基調とする)
●教派
ローマ・カトリック教会