ヒンデルとローマ・カトリック教会(続)
聖霊修道院付属聖堂(現・金沢聖霊修道院「三位一体」聖堂)の解説では、マックス・ヒンデルの活躍に先立つ年代に、ローマ・カトリック教会のさまざまな宣教組織が来日・再来日した状況を編年的を記しました。このことについてより詳しく、当時の教区、委託組織並びにその役職者、すなわち建造物の施主と、建築家ヒンデルの関わりを掘り下げると、次のようになります。
ヒンデルが最初の拠点とした札幌を中心とする札幌知牧区は、1915年(大正4)に函館司教区から独立し、フランシスコ会フルダ管区に委託されました。ヴェンセスラウス・ヨーゼフ・キノルド知牧区長(ドイツ人)は来札したばかりのヒンデルを初めて起用した人物で、札幌藤高等女学校校舎(竣工1924年)が実現します。
函館司教区は当初、北海道、東北(青森県・岩手県・宮城県・福島県・秋田県・山形県)、中部(新潟県)にまたがり、パリ外国宣教会の管轄でした。やがて区域が縮小し、1931年(昭和6)には委託組織がドミニコ会カナダ管区に変わります。その直後にヒンデルは、青森県の三本木天主公教会(現・カトリック十和田教会)二代聖堂・司祭館・幼稚園旧園舎(聖別1932年)を手がけました。横浜時代の仕事です。
1912年(大正元)に新設された新潟知牧区は東北(秋田県・山形県)、中部(新潟県)、北陸(富山県・石川県・福井県)を区域とし、神言会に委託されました。ヨーゼフ・ライネルス知牧区長(ドイツ人)は早くからヒンデルを評価し、新潟カトリック教会(現・カトリック新潟教会)聖堂(聖別1927年)を皮切りに、のちに名古屋知牧区長として、いくつもの施設をヒンデルに委ねています。
1922年(大正11)になると名古屋知牧区が新設され、中部(愛知県・岐阜県)、北陸(富山県・石川県・福井県)を神言会が管轄しました。初めはライネルス新潟知牧区長が名古屋知牧区長を兼任し、その後、名古屋の専任になります。ヒンデル設計の施設が最も多い区域でした。
わが国におけるローマ・カトリック教会の中枢に位置づけられる東京大司教区は、長らくパリ外国宣教会に委託されてきました。ただし、札幌・横浜時代にヒンデルが関わった上智大学は、母体組織がイエズス会です。
以上を総括すると、ドイツ語圏スイス人のヒンデルは、ドイツ出身の聖職者に信頼が厚く、また札幌時代(1924~1927年)の実績に鑑みて、横浜時代(1927~1935年)は教区や組織を越えて設計依頼があったことが読み取れます。
南山中学校校舎
石川県金沢市で医療・社会福祉事業を実現したヨーゼフ・ライネルス新潟・名古屋知牧区長は、名古屋の専任となってから、ミッション・スクールの設立に向けて動き出します。その成果こそが本校にほかなりません。
ミッション・スクールで重要なのは、キリスト教の精神に基づく学び、共同生活と、祈りの場の整備です。理想的には校舎、講堂、運動場を始め、寮や教師住宅、ローマ・カトリック教会ならば付属聖堂を持つキャンパスが求められます。
本校の校舎もこのような全体構想の中心に位置づけられ、他に教室棟、体育館、講堂の計画があり、教師住宅には小聖堂が付属しました。
左右対称な凸字形平面の校舎は、南南東の街路側中心にポーチ、正面玄関が位置します。この空間は北北西に伸び、階段と、スキップ・フロアのため低い運動場側の出入口に至りました。鉄筋コンクリート造の低層ビルヂングという近代的な学校建築ですが、ポーチが前に張り出すため、全体として十字架形をかたちづくり、ミッション・スクールであることの示唆とも考えられます。
廊下は校舎の北北西側、階段に直結して東北東から西南西へと貫通し、運営・管理部門、特別教室(1階)、一般教室(2・3階)が南南東側に並んでいました。天井と内壁はカゼイン塗装の漆喰で、床や腰壁を濃色の板張とし、落ち着いた趣を湛えます。
正面玄関、花崗岩のトスカナ式円柱が並ぶポーチは人造石洗出仕上により、外観との意匠的な統一が図られています。ここにも風土を尊重するヒンデルの思想が窺われ、玄関回りの腰壁に張った施釉タイルは、陶磁器産業の集散地、名古屋ならではの仕様として良いでしょう。
南山中学校校舎の建造物概要
●今日の名称(所在地)
南山学園 南山アーカイブズ(愛知県名古屋市昭和区五軒家町)
●年代
竣工1932年(昭和7)
●設計・施工者
マックス・ヒンデル(設計)、大倉土木(施工)
●工法・構造
鉄筋コンクリート造3階建
●様式
モダニズム
●備考
ローマ・カトリック教会のミッション・スクール