教会建築の設計者(続)
日本近代のキリスト教界でミッション・アーキテクト(宣教建築家)を積極的に起用したのは、プロテスタント教会と聖公会でした。ただし両者の事情は異なります。
[下図]設計はヴォーリズ建築設計事務所により、1916年(大正5)3月に献堂されました
まずウィリアム・メレル・ヴォーリズは、プロテスタント教会の超教派的なミッション・アーキテクトを任じたとして良いでしょう。そもそも来日(1905年)の動機、わが国での活動が教派を越えるものでした。
日本の社会に溶け込み、在住歴が長く、諸事情に詳しい人物として、さまざまな施設を手がけています。建築の専門教育を受けていませんが、事務所の運営に長け、質の高い仕事を多数、そつなくこなした印象があります。
[下図]設計はジェイ・ハーバート・モーガンにより、1926年(大正15)10月に献堂されました
とは言え、多くの教派が独自の宣教と伝道を進めたプロテスタント教会においては、ヴォーリズ以外の建築家の参画も顕著です。
一方の聖公会は、アメリカ、イギリス、カナダの宣教組織がそれぞれの基盤を日本国内に築いたので、1887年(明治20)に日本聖公会が成立したのちも、これらの国の伝道母体と密接な関わりを持つかたちで施設が建てられました。このうち、宣教組織に帰属するミッション・アーキテクトを重用したのが米国聖公会です。
[下図]設計はウィリアム・ウィルソンにより、1921年(大正10)4月10日に聖別式が行われました
具体的には、ジェームズ・マクドナルド・ガーディナー(明治)、ウィリアム・ウィルソン(大正)、ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ(昭和戦前)を指し、三者三様の立場とやり方で、教会・学校・病院建築に携わりました。
[下図]全体構想・基本設計はアントニン・レーモンド、ヨセフ・スワガー、ベドジフ・フォイエルシュタイン、実施設計がジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ、増築部分の実施設計についてはスワガーと上林敬吉が関わり、病院・学校の奉献は1933年(昭和8)6月でした
しかし、彼らの自主性や創造力の発露という点では、宣教組織が足枷にもなったと言えます。このことは、アントニン・レーモンドのような人物、すなわち意志と個性が強く、ミッション・アーキテクトではない近代建築家との関係性に見て取れます。
立教大学四代校舎、図書館、礼拝堂
米国聖公会のミッション・スクール立教大学は、ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーが築地居留地(東京都中央区明石町)の初代校舎(立教大学校)、二代校舎(立教専修学校、立教中学校)を手がけました。本務である立教学校の校長に着任(1880年)したのち、教派の建造物の担い手として経験値を培ったからです。
[下図]設計はジェームズ・マクドナルド・ガーディナーにより、1882年(明治15)に竣工しました。その後、1894年(明治27)の明治東京地震で被災したうえ、1923年(大正12)の関東大震災で倒壊しています
煉瓦造2階建の初代は明治東京地震(1894年)に耐えられず、その教訓を踏まえ、1階煉瓦造・2階木造の混合構造とした二代も、関東大震災(1923年)で初代とともに失われました。
この間、専門学校令の施行を機に、大学に用いる木造2階建の三代校舎を増備しつつ、築地から田園郊外への移転計画が進みます。
[下図]設計はジェームズ・マクドナルド・ガーディナーにより、1895~1899年(明治27~32)の間、順次竣工しました。その後、1923年(大正12)の関東大震災で倒壊しています
当時の立教学院総理ヘンリー・セント・ジョージ・タッカー(米国聖公会)は、アメリカで揺るぎない実績を持つ建築家ラルフ・アダムズ・クラム(米国聖公会信徒)から和風の新しい校舎の提案を受けました。これに関心を示したタッカー総理の考えとは正反対に、日本聖公会と学院の日本人関係者は異を唱えます。
その後、学院総理がチャールズ・シュライバー・ライフスナイダー(米国聖公会)に変わると、日米聖公会の首脳陣はガーディナーを念頭に置いたものの、最終的にはニューヨークを拠点とする新進気鋭のマーフィー・アンド・ダナ建築設計事務所を抜擢します。それは、校舎(立教大学)、図書館、礼拝堂を始め、食堂、寄宿舎、関係者の住まい、運動場などから成り、欧米のカレッジを彷彿とさせるキャンパスが期待されたからです。
こうしてゴシック・リヴァイヴァルが基調のカレジエイト・ゴシック(・リヴァイヴァル)により、重厚な煉瓦造で、低層型の建造物が左右対称に整然と並ぶキャンパスになりました。
東西に長い校舎の北西に位置する礼拝堂は、規模、外観が北東の図書館と同一で、三つの建造物が凹字形を構成し、正門に通じる中庭を囲みます。よって礼拝堂の造りは、他の二つと同様、長方形平面を呈し、切妻屋根を架け、両端の破風は棟より高く、塔屋がありません。
その代わり、校舎に中心にはチューダー風の八角小塔が4つ聳え、建物配置の左右対称性と、カレッジであることを訴求しました。伝道施設としての象徴性は、礼拝堂と図書館の高い煉瓦壁を支え、2段の水切りを有する控え壁や、開口部の形状に窺われます。
伝道施設としての象徴性は、礼拝堂と図書館の高い煉瓦壁を支え、2段の水切りを有する控え壁や、開口部の形状に窺われます。
礼拝堂内部の当初案は、北に位置する内陣に対して、単廊式身廊の会衆席が通路を挟んで向き合うカレッジ式でした。
ところが学生、教員だけではなく、一般会衆にも供する施設のため、聖公会の他の礼拝堂に倣う形式に落ち着いています。
立教大学四代校舎、図書館、礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
立教大学本館、メーザーライブラリー記念館、立教学院諸聖徒礼拝堂(東京都豊島区西池袋)
●年代
校舎、図書館 竣工1919年(大正8)
礼拝堂 聖別1920年(大正9)
●設計・施工者
マーフィー・アンド・ダナ建築設計事務所(設計)、ウィリアム・ウィルソン(現場監理)、清水組(施工)
●工法・構造
煉瓦造2階建
●様式
カレジエイト・ゴシック・リヴァイヴァル
●備考
聖公会のミッション・スクール