「ライト館」のリアルな姿
建物の竣工前から、同時代のメディアで最も紹介された大谷石建造物と言えば、フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)による「旧・帝国ホテル ライト館」(竣工1923年)の右に出るものはありません。
ホテル自体の印刷物は元より、新聞や雑誌、書籍、旅行案内、観光絵葉書などに、さまざまなアングルから写した「ライト館」が掲載されたので、「大谷石」の全国的な知名度は大いに上がり、世界の近代建築シーンに向けた「石のデビュー」となりました。「石の街うつのみや」に於いても、以降、石屋さんのカタログは必ず冒頭で「ライト館」を取り上げ、市内の小学生向け教材『宇都宮読本』にさえ「アメリカ人ライト氏」に関する記述が見られます。
写真集と印刷物に見る「ライト館」
よって、他の事例に比べると、完全な状態で現存しないにも拘らず、これほどオリジナルの姿かたちを示す画像に事欠かない大谷石建造物も珍しい、と言えるでしょう。
そのなかで、洪洋社が発行した写真集『帝國ホテル』(1923年)
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970774
は、豊富な図版、美しいコロタイプ印刷により、開業直前の「ライト館」のディテールを克明に伝えました。ちなみに洪洋社は、大正初期から第二次世界大戦期の間、国内外の建築に特化した専門の出版社として知られ、写真を駆使した多くの刊行物は、当時の建造物や都市がどのようなものだったのかを、後世の私たちに教えてくれます。
一方、クライアントの帝国ホテル
http://www.imperialhotel.co.jp/j/
は、名立たるホテル事業者らしい優れたデザインの印刷物で、当時は「新館」と呼ばれた「ライト館」の建築的な魅力とともに、多くの名士が絶賛して止まなかった一流のサーヴィスを国内外に発信するのです。
新しい日本の伝統を示す「ライト館」
今回、展覧会で紹介する「ホテルの印刷物」は、これまで「大谷石の近代建築」の代表格とされてきた「ライト館」を、別の視点で探るためにも注目しています。それは、「ライト館」を単なる「日本趣味」ではなく、名実ともに「日本らしさ」を体現する「大谷石を用いた新しいスタイルの建物」と捉え、そのことを如実に映し出すグラフィック表現の分析に他なりません。
とりわけ、「ライト館」の竣工前後を経験した二人の名支配人、林 愛作(1873~1951年、支配人1909~22年)と犬丸徹三(1887~1981年、支配人1923~45年、以降1970年まで社長)の時代は、興味深い印刷物が何種類も制作されました。たとえば、1920年(大正9)の宿泊者用手帳は、表紙に水墨画をあしらい、それに見合った落款風のホテル名称を裏表紙に配したところに、アメリカで美術商として活躍した林 愛作の出自が偲ばれます。
ページをめくると、左側に渡辺 譲(1855~1930年)が手掛けたクラシックな「本館」(竣工1890年~焼失1922年)、右には着工(1919年)したばかりの「新館」こと「ライト館」が「竣工予定1921年」と記されており、この大谷石建造物に対する関係者の期待を読み取ることができます。