展覧会タイトルの副題に「大谷石をめぐる近代建築と地域文化」と掲げるように、この企画は「地域の近代建築の紹介」を柱の一つとしています。ところが、建築展の宿命として「実物を陳列できないこと」が挙げられ、また、こうした展示は、得てして「建築図面の羅列」に陥りがちです。これでは、一般の来館者にとって内容を読み解くことが難しく、かつ建造物と深く結び付いている自然・風土・産業・文化に触れることもできません。
そこで今回は、地域の近代建築に関しては「五大案件」――旧・大谷公会堂、旧・宇都宮商工会議所、カトリック松が峰教会聖堂、日本聖公会 宇都宮聖ヨハネ教会、南宇都宮駅舎に絞り、図面とともに、模型・実物(建築パーツ)・写真(竣工当時+現状)・映像・印刷物・美術作品などによって、できるだけリアルに紹介することにしました。
時代と再開発の波に揉まれて
先に示した「五大案件」のなかで、ひときわ鮮烈な姿かたちを誇るのは、安 美賀(やすみよし:1885~1953年)の設計による「旧・宇都宮商工会議所」(竣工1928年)
http://www.u-cci.or.jp/kaigisyo/cci06.html
として良いでしょう。いや、より正確には「誇った」と記すべきかも知れません。というのも、五つのなかで唯一、オリジナルの建物が完全に取り壊されてしまい(1979年)、現在は、そのごく一部(玄関)と特徴的な装飾パーツを組み合わせた遺構(完成1985年)が、本来の敷地とは離れた場所
で、ひっそりと第二の人生を送っているからです。
かつてこの名建築は、旧・宇都宮市役所(移転・建て替え)と隣り合わせで、中心市街地の心臓部にありました。すなわち、現在の宇都宮市中央本町――跡地は、旧・済生会病院(同)を経て、宇都宮中央郵便局(同)となっています。と記すと、いかに当市では、昭和戦後・平成時代の目まぐるしいスクラップ・アンド・ビルドのなかで、貴重な近代建築が次々と失われたかを想像できると思います。
類稀なヴァナキュラー・ハイブリッド
ともあれ、鉄筋コンクリート造+鉄骨造2階建て・3階建ての塔屋付き、大谷石+白河石・簾煉瓦張り、人造石洗い出し仕上げの旧・宇都宮商工会議所は、素材と工法に加えて、その意匠や様式のウルトラ・ハイブリッド性で知られる地域の近代建築でした。南北の立面、正面性を強調した塔屋のある東立面には、フランク・ロイド・ライトの影響や、機能主義的な日本の分離派風の趣きが窺われ、これに存在感の強いネオ・クラシカルな玄関が付されています。
大谷石の使い方も自由奔放で、西洋建築のさまざまな様式を示唆するディテールを成しているため、さながら「地域の石で綴る建築史図鑑」としても過言ではありません。当時、安 美賀が栃木県技師、栃木県立宇都宮工業学校校長を兼務し、同時代に完成されたばかりの「旧・帝国ホテル ライト館」をいち早く見学したことを鑑みると、この稀有な建物がなぜ「ヴァナキュラー・ハイブリッド」なものとして設計されたのか、納得できるところが多々あるのではないでしょうか。
大谷の里につながる建築
さらに、旧・宇都宮商工会議所は、商工都市として発展を遂げ、このような新しい公共建築のみならず、近代の「まち文化」を産業界が一丸となって盛り上げ、支援した昭和初期の当市の文化度の高さも象徴しています。階高のある2階には、立派な公会堂が設けられ、のちに会議室の壁には、地域の情景をモダンな筆致で描いた鈴木貫司(1912~56年)の大作《大谷風景》(1935年)が納められました。
テーマは、かつて大谷にあった観光名所「遊楽園」の山頂から、一帯の壮大な風景を遠望するもので、手前には、二人の石工の姿をあしらっています。この頃、清水登之、川上澄生ら地域にゆかりの画家たちは、しばしば大谷へ出かけ、山並み、石切場、里の景色、そこに生きる人々を、油彩・水彩・版画で多彩に表現しました。…本展では、「美術」のセクションに於いて、その精華も展示しますので、どうぞお楽しみに。