二人のモダニストの異なるモダニズム
米国聖公会ミッション・アーキテクト(宣教建築家)のジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ、そしてユダヤの出自を持つチェコ系アメリカ人建築家のアントニン・レーモンドは、本展がテーマとする「日本近代の教会建築」とモダニズムを結び、キリスト教の施設の設計、工法や意匠の新たな可能性を拓いた人物です。
ただし両者のあり方は、まったく異なります。
[下図]長期に及んだ病院の新築事業では、レーモンドの基本設計をバーガミニが見直し、意匠は全面的に後者によります
バーガミニの場合、関東大震災に伴う施設の復興というミッション(使命)を持って来日し(1925年)、組織の枠組みのなかで、実務の合理化により、教派に相応しいモダン・スタイルを編み出したことが最大の功績です。
ところが1938年(昭和13)の離日後、わが国に帰来することはありませんでした。
[下図]依頼主の病院側(米国聖公会)は、レーモンドの斬新な意匠を良しとしませんでした
これに対してレーモンドは、ライト事務所の帝国ホテル新館(ライト館)担当として来日するものの(1919年)、この事業をめぐってフランク・ロイド・ライトと決裂し、1921年(大正10)に東京で独立します。
[下図]設計はレーモンドにより、1928年(昭和3)に竣工しました
以降、第二次世界大戦前後(1937~1947年)と、最晩年(1973年以降)を除く長きにわたり、日本に住み、設計活動を行いました。そして、出発点なった先進的モダニズムを追求しながら、世界の風土、固有な素材、これらに根ざす建築に深い関心を寄せ、多様性と示唆に富む聖俗の建造物を手がけます。
[下図]設計はレーモンドにより、1935年(昭和10)に聖別されました。スロヴァキアの伝統的な教会堂を下敷きとし、鉄筋コンクリート造・一部木造の躯体に木の合掌屋根を組み合わせ、施工は日光の宮大工が担っています
対照的な二人の近代建築家は、それぞれの立場で聖路加国際病院、聖路加礼拝堂(現・聖路加国際大学、聖ルカ礼拝堂)に関わり、同時並行的に珠玉のような二つの学校チャペルを具現化しました。すなわち、両者の違いを如実に示す立教女学院聖マーガレット礼拝堂(バーガミニ)、並びに東京女子大学講堂・チャペル(レーモンド)です。
Ⓐ立教女学院聖マーガレット礼拝堂
立教女学院の歴代校舎
米国聖公会のミッション・スクール立教女学院の歴代校舎は、日本近代におけるキリスト教の施設の縮図と言えます。
[下図]設計はジョサイア・コンドルにより、1899年(明治32)に竣工しました
築地居留地の初代校舎(竣工1884年)がジェームズ・マクドナルド・ガーディナー設計の洋館だったのに対して、居留地廃止の直前に造営された二代校舎(竣工1899年)では、ジョサイア・コンドルが和風を採り入れました。高等女学校令の施行に伴い、二代校舎を増備する目的で建てられた三代校舎(竣工1911年以降順次)は、当時の学校建築らしい姿を呈します。
いずれも木造2階建で、初代は明治東京地震(1894年)の被害が著しく、二代と三代が関東大震災(1923年)で消失を余儀なくされました。
その後、学校は田園郊外の東京府豊多摩郡高井戸村久我山(東京都杉並区久我山)へ移り(1924年)、仮校舎(竣工1925年)を経て、1930年(昭和5)に完成した四代校舎(現・立教女学院高等学校校舎)はバーガミニの力量が遺憾なく発揮され、耐震面で内藤多仲に協力を得ています。
基本的には機能的で明るいモダニズム建築ですが、古典の趣を加えることで、知性、品格、礼節を湛える校舎になりました。
聖マーガレット礼拝堂
完全な十字架形平面(バシリカ)の本礼拝堂は、内陣が南東にあり、両翼廊は礼拝準備室、オルガンのパイプ室に充てられ、三廊式の身廊に玄関間が続きます。
外観で眼を引くのは、中央にペディメントを付した半円アーチの玄関ポーチと、2階ギャラリーの丸窓です。これらを擁する妻壁は、左手の塔屋とわずかに離れているので、両者が引き立ち、正面性も明白に見て取れます。
緩勾配の瓦屋根、スタッコ仕上げの外壁、温かみのあるその色合い、要所に絞ったレリーフ装飾、建物内外に繰り返される半円アーチ、両側廊の高窓、キング・ポスト・トラス(心束式洋小屋)の選択などさまざまな点で、この礼拝堂は簡素な初期ロマネスクの当世風な復興として良いでしょう。
バーガミニ自身は米国聖公会の広報誌 The Spirit of Missions(1937年5月号)で、校舎との調和ではロマネスクが最適と述べ、当時の日本人信徒のゴシック志向に一石を投じました。加えて、異質な美意識の融合において、この国の人々が世界でも抜きん出ることを指摘し、日本独自の造形の伝統と、西洋で育まれたキリスト教の芸術の出会いに対する期待感も記しています。
立教女学院聖マーガレット礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
立教女学院聖マーガレット礼拝堂(東京都杉並区久我山)
●年代
聖別1932年(昭和7)
●設計・施工者
ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ(設計)、内藤多仲(構造設計)、清水組(施工)
●工法・構造
鉄筋コンクリート造2階建、3層塔屋付
●様式
ロマネスク・リヴァイヴァル
●備考
聖公会のミッション・スクール
Ⓑ東京女子大学講堂・チャペル
レーモンドのヴィジョン
超教派のキリスト教主義を掲げ、1918年(大正7)に豊多摩郡淀橋町字角筈(新宿区西新宿)で開校した際、本学の校地と校舎は仮のものでした。翌年(1919年)には本校地が同郡井荻村字上井草北原(杉並区善福寺)、さらに2年後(1921年)になると、キャンパスの全体計画を担う建築家がレーモンドに決まります。
こうしてレーモンドは、1922年(大正11)の着工以降、自身と関わる近代建築のさまざまな動向を基調に、これらを独自の視点でまとめた施設を実現していきます。東西寮にはチェコのキュビスム建築の影響が窺われ、図書館、体育館、外国人教師館などは明らかにライト風です。
講堂・チャペル
キャンパス計画の締め括りとなり、1938年(昭和13)に完成した講堂・チャペルは、聖路加礼拝堂(現・聖ルカ礼拝堂)で断念したアイディア、すなわちオーギュスト・ペレのノートル・ダム・デュ・ランシー教会聖堂(1923年)のリ・デザインを現実のものとしました。
西端の聖壇側が膨らむ長方形のチャペル(西)と、扇形の講堂(東)を一体化した平面は、両者が一台のオルガトロン(パイプ・オルガンを代用する電気オルガンの一種)を共有することによります。
チャペルの外観、尖塔の形状、鉄筋コンクリート造ならではの開けた空間、1階上部から筒形ヴォールト天井まで届く多色のステンドグラス、その光の効果など、ペレの聖堂との酷似は疑いようもありません。事実、本チャペルの原型がノートル・ダム・デュ・ランシー教会聖堂にあり、自身のオリジナルではないことをレーモンド自身が明言しています。
しかし、本チャペルがペレの縮小形に過ぎないという見方は、あまりにも表面的と言えるでしょう。なぜならば、建物の規模と機能、教派の違いを考慮せねばならないからです。
ステンドグラスを負う幅広な内陣を持ち、高いコンクリート柱が要所に建つ三廊式身廊のノートル・ダム・デュ・ランシー教会聖堂は、ローマ・カトリック教会の聖堂として設計されました。
一方、聖壇周囲の壁を落ち着いた色合いとし、柱を壁際に寄せた単廊式身廊の大学チャペルは、教派を越えるキリスト教に基づく学校の会堂です。よって前者で達成された近代の聖性と、後者が湛える求心性は、およそ別次元にあります。
風土や素材に対するレーモンドの強い関心も反映され、身廊の壁は不定形に割った大谷石、人造石、平瓦の乱張を採用しています。
東京女子大学講堂・チャペルの建造物概要
●今日の名称(所在地)
東京女子大学講堂・チャペル(東京都杉並区善福寺)
●年代
献堂1938年(昭和13)
●設計・施工者
アントニン・レーモンド(設計)、清水組(施工)
●工法・構造
鉄筋コンクリート造2階建、塔屋付
●様式
モダニズム
●備考
超教派キリスト教主義の学校