東京の石畳と石塀
季節の移り変わりは目まぐるしいもので、すでに気の早い落葉が石畳を舞い、石塀に落ちる夕日も長い影を落とすようになりました。それは、石の街・宇都宮や石の里・大谷だけではなく、関東大震災(1923年)からの復興に大谷石が重要な役割を果たした東京も同じです。
「大谷石をめぐる近代建築と地域文化」を副題に掲げる本展では、石の街・石の里の事象や出来事に加えて、他の地域の大谷石建造物も的を絞って紹介しますので、その中から「これは」というものを、本サイトで少しずつご紹介したいと思います。
自由学園 明日館
1921年(大正10)に開学した「自由学園」
https://www.jiyu.ac.jp/index.php
は、大正デモクラシーのリベラルな気風を受けて、思想家・教育者の羽仁吉一・もと子夫妻が拓いた学校です。キリスト教の精神を基盤に、今日に至るまで「生活即教育」を基本理念としていますが、その始まりの段階で、羽仁夫妻に共鳴したのが、大谷石と深い縁のある二人の建築家、フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)と遠藤 新(1889~1951年)でした。
このうち、ライトの設計による建造物が、国の重要文化財として残る「明日館」(竣工1921年)
です。
明日館の建築と石
「明日館」の特徴は、低層の建物をシンメトリーに配置したところにあり、基礎や屋内外の柱に「石の里」から運ばれた大谷石が使われています。しばしば「プレーリー・スタイル」(大草原様式)と呼ばれるライト建築の鉄則のひとつ――階高の低い建物の連続、それらの庇が深いこと、屋根のつながりによって強調される水平性を踏まえており、「明日館」と同じ時代に、ライトが日本で手掛けた大谷石建造物の「旧・帝国ホテル ライト館」(竣工1923年。博物館明治村に一部移築)
http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-67.html
にも共通の「空間づくり」のセンスが感じられます。但し、「石づかい」に関しては、「明日館」の方が控え目で、穏やかな印象を与える、として良いでしょう。
ちなみに、「明日館」の石が生まれた場所は――「ライト館」と同じ大谷の石山で、地元では、通称「ホテル山」(宇都宮市田下町)として知られていますが、今日では採石が行われていません。