他山の石① 石川県の巻3

前回より続く

黄金色に輝く第三の凝灰岩
明治政府の「全国石材調査」は、フランク・ロイド・ライト(1867~1959年)の手を介して、人々の耳目を石川県産の「菩提石」、栃木県産の「大谷石」に向けますが、調査報告となった『本邦産建築石材』(1921年)、その改訂版である『日本産石材精義』(1931年)に掲載されていない凝灰岩の台頭も導きました。
それが、これまで紹介してきた水田丸・滝ヶ原・菩提石と同じ小松市に産する「日華石」(観音下町)です。蜂の巣ように穴だらけの菩提石とも、不定形の「ミソ」を特徴とする大谷石とも異なる相貌を呈し、色は明るい黄色の緻密で硬い石材。小孔の入り具合は、「タマ」(穴)で知られる深岩石(栃木県鹿沼市)を彷彿とさせます。

日華石の石切場|2016年|石川県小松市観音下町|調査協力=観音下石材+小松市立博物館 撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム (C)Utsunomiya Museum of Art
日華石の石切場|2016年|石川県小松市観音下町|調査協力=観音下石材+小松市立博物館
撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム
(C)Utsunomiya Museum of Art
ダイヤモンド・カッターで裁断・研磨した日華石|2016年|調査・加工協力=大谷石産業+小松市立博物館 撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム (C)Utsunomiya Museum of Art
ダイヤモンド・カッターで裁断・研磨した日華石|2016年|調査・加工協力=大谷石産業+小松市立博物館
撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム
(C)Utsunomiya Museum of Art

日華石の採掘の始まりは、大正時代の初めと比較的新しく、やがて産地に尾小屋鉄道が通ると(全線開業1920年)、盛んに石切りが行われるようになります。トロッコや荷馬車で「観音下駅」まで石材を運び、そこから尾小屋鉄道を使い、省線(北陸本線)に接続する「新小松駅」までの輸送路が確立されたからです。こうした状況は、すでに明治末期に軌道線、大正年間に軽便鉄道の路線網が整備され、鶴田駅で省線(日光線)に接続した大谷石と似ています。
この石もまた、大谷石と不思議な因縁があり、産業として盛り上がりを見せた昭和戦前は、著名な建築に於ける良きライヴァルとしてしのぎを削り、また、戦後に石切りが機械化された際には、その技術をいち早く大谷に学びました。

日華石の石切場|2016年|石川県小松市観音下町|調査協力=観音下石材+小松市立博物館 撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム (C)Utsunomiya Museum of Art
日華石の石切場|2016年|石川県小松市観音下町|調査協力=観音下石材+小松市立博物館
撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム
(C)Utsunomiya Museum of Art
記録写真 《機械化された露天平場掘りの採石場》|1960年前後|大谷石材協同組合蔵 (C)Ooya Stone Cooperative
記録写真 《機械化された露天平場掘りの採石場》|1960年前後|大谷石材協同組合蔵
(C)Ooya Stone Cooperative
日華石の酒蔵(登録有形文化財)|1949年|石川県小松市野田町|調査協力=東酒造+小松市立博物館 撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム (C)Utsunomiya Museum of Art
日華石の酒蔵(登録有形文化財)|1949年|石川県小松市野田町|調査協力=東酒造+小松市立博物館
撮影=宇都宮美術館「石の街うつのみや」展 調査・撮影チーム
(C)Utsunomiya Museum of Art

ライトと林愛作の遺伝子が花開く
日華石の場合、主な出荷先は北陸・関西圏でした。石の性質が建材・建築装飾に向くことから、当地の小松のみならず、金沢・京都・大阪・神戸などの近代建築に用いられており、その筆頭格が、ライトの弟子・遠藤 新(1889~1951年)が手がけた「旧・甲子園ホテル」(竣工1930年)

http://www.mukogawa-u.ac.jp/~kkcampus/index.html

に他なりません。
建物の規模こそ「旧・帝国ホテル ライト館」には及びませんが、空間構成や素材の使い方でライト、一流ホテルとしてのサーヴィス面では、ライトの起用、遠藤とともにライト館を実現に導いた林 愛作(1873~1951年、帝国ホテル支配人1909~22年、甲子園ホテル支配人1930~34年)の遺伝子が受け継がれました。

武庫川女子大学 甲子園会館(旧・甲子園ホテル)外観|2016年|兵庫県西宮市 撮影=大洲大作 (C)Daisaku Oozu
武庫川女子大学 甲子園会館(旧・甲子園ホテル)外観|2016年|兵庫県西宮市
撮影=大洲大作
(C)Daisaku Oozu
武庫川女子大学 甲子園会館(旧・甲子園ホテル)西ホール|2016年|兵庫県西宮市 撮影=大洲大作 (C)Daisaku Oozu
武庫川女子大学 甲子園会館(旧・甲子園ホテル)西ホール|2016年|兵庫県西宮市
撮影=大洲大作
(C)Daisaku Oozu

もちろん、遠藤の個性、関西の風土と文化、そして何よりも「日華石」の特性が花開いている点で、ライト館とは違った魅力も満ち溢れるホテル建築です。とりわけ、日華石だからこそ可能な彫刻的表現のディテールは、同郷の菩提石、宇都宮の大谷石では生み出すことができません。
戦後は、進駐軍に供する施設、国有財産を経て、武庫川学院のものとなり(1965年)、現在、同学院の学び舎――武庫川女子大学建築学科・建築学専攻

http://www.mukogawa-u.ac.jp/~arch/

が入居する歴史的建造物として、大切に保存・活用されています。

甲子園ホテル 編『KOSHIEN HOTEL』甲子園ホテル, 1940年頃 より 中面 武庫川女子大学 甲子園会館蔵
甲子園ホテル 編 『KOSHIEN HOTEL』 甲子園ホテル, 1940年頃 より
中面
武庫川女子大学 甲子園会館蔵
武庫川女子大学 甲子園会館(旧・甲子園ホテル)1階ロビー南側外壁の日華石ディテール|2016年|兵庫県西宮市 撮影=大洲大作 (C)Daisaku Oozu
武庫川女子大学 甲子園会館(旧・甲子園ホテル)1階ロビー南側外壁の日華石ディテール|2016年|兵庫県西宮市
撮影=大洲大作
(C)Daisaku Oozu
甲子園ホテル 編『KOSHIEN HOTEL』甲子園ホテル, 1930~34年頃 より 表紙 武庫川女子大学 甲子園会館蔵
甲子園ホテル 編 『KOSHIEN HOTEL』 甲子園ホテル, 1930~34年頃 より
表紙
武庫川女子大学 甲子園会館蔵