大谷の石切場「跡」は、観光スポットとして注目されるようになりましたが、この地が今なお「現役」の石の里であり、露天・地下の両方で精力的に採掘が行われていることや、その状況と歴史については、必ずしも正確に発信されていません。本展では、このことをしっかりと伝え、大谷石建造物は、石を「採る」という偉大な営為によって育まれた文化であることを示すために、広報物と展示の第1部「大谷石と地域の産業・建築をめぐって」に、「採る」現場の取材・調査成果を盛り込みました。
ポスターと映像番組
先に紹介した展覧会ポスター
は、すでに反響を呼んでおり、これを目にした多くの方々から「モデルはどなたですか」「どこのスタジオで撮影されたのですか」といった質問も受けました。その答えは――「現場のご協力を得て」「リアリズムに基づいて」に尽きます。
撮影場所は、本展に「特別協力」をいただいた大谷石産業の地下採掘場「石の里 希望」(宇都宮市大谷町)
http://www.ooyaishisangyo.com/mining.html
で、特別な仕掛けは何もありません。ハンマーを振るう男性は、同社の石工さん、照明も、現場の作業用ライトのみ、その位置も全く動かしていません。お仕事に支障が無いよう、特別なポーズを取っていただくことや、道具・機械の配置に関する注文もしませんでした。
すなわち、地下50メートルの坑内で、日々採掘が行われている様子を、4台のカメラでリアルに捉え、ありのままに記録したのです。4台のうち1台は、奇岩から建造物まで、石の表情に鋭い眼差しで迫ったフォトグラファーの大洲大作さん、もう1台が、展示の一環となる映像番組を担当した動画カメラマンの須田誠一郎さん、
残る二つは、記録・調査のために担当学芸員が現場に持ち込み、採掘の邪魔にならない位置で、それぞれにレンズを向けています。
こうして、つぶさに撮った記録から、象徴的なポスターが生まれました。また、映像番組「大谷石の誕生、利用の歴史と地域に花開いた近代建築」は、1月8日から展覧会場(中央ホール)で上映します。
石を「採る」営為を展示する
一方、メインとなる展示では、採掘で使われる道具、新旧の石材(手掘り・機械掘りの五十石*)、古い記録写真、建築家による石切場の断面図、「採る」現場に魅了された画家の作品などを通じて、「地下採掘場」が如何なる場所なのかを、多様な視点から紹介します。
ちなみに、大谷石をめぐる全ての創造の源と言うべき「採る」営為は、基本的には「つるはし」を用いた「手掘り」と、「チェーンソー」で切り込みを入れる「機械掘り」しかありません。どちらの場合も、「つるはし」一本で、あるいは「ハンマー」と「矢」で溝を深め、先に採った石の厚みだけ低い水平面にも「矢」を打ち込み、「ハンマー」で叩いて「石を起こす」方法が、平成時代の今なお実践されています。
驚くべきことに、機械の利用は、外国製マシンの輸入と国産機の開発が1955年(昭和30)と遅く、しかも採掘ではなく、加工に供するものでした。「採る」現場にチェーンソー
が導入されたのは、露天平場掘りが1959年(昭和34)、垣根・坑内掘りが1965年(昭和40)のことです。そして、大谷地区の機械化は、日華石の石切場(石川県小松市)など、他の地域の良きモデルになったことが、各地でのヒアリングで分かりました。
露天平場掘り、垣根・坑内掘りについても、もちろん展示で取り上げており、今後の「見どころ紹介」で触れていきますので、どうぞお楽しみに。
*五十石[ごとういし]とは、石材の「規格サイズ」のひとつで、寸法は「5寸×1尺×3尺」(約 H15.15 X W30.3 X L90.9cm)です。大谷石の場合、石塀で多く使われています。