本展の見どころ紹介③ 張り石と積み石造り

謹 賀 新 年

 

モダニズムと経済の論理
東京オリンピック(1964年)前後から日本万国博覧会(1970年)にかけて、わが国の都市は、大変貌を遂げました。「鉄筋コンクリートの箱」が立ち並ぶ「アスファルト敷きの街並み」が主流となったからです。その良し悪しは別として、モダニズムの論理では、国際的・普遍的とされる居住環境の敷衍に他ならず、東京や大阪の一部に起こった現象ではありません。やがて、バブル経済(1980年代後半~1990年代初め)に伴う開発で、「ガラスのカーテン・ウォール」「外国産の高価な石張り」の眩いビルや店舗が現れ、これも全国各地に波及しました。
こうした変化のなかで、地方色の豊かな近代建築は、徐々に姿を消します。あわせて、東日本の場合、先の大震災(2011年)で失われた遺産も少なくありません。「石の街うつのみや」の場合、世の中の動きに呼応したスクラップ・アンド・ビルドで、さまざまな近代建築が「記録」としてのみ残される昭和戦後・平成時代を経験し、東日本大震災を経たのち、大谷石建造物は、震災前の「一割減」となったことが調査で分かっています。

 

【失われた大谷石の遺産】

パンフレット『IMPERIAL HOTEL』 発行1927年~昭和初期|宇都宮美術館蔵 ※旧・帝国ホテル ライト館…竣工1923年(大正12)|解体1967~68年(昭和42~43) ※部分移築…博物館明治村(帝国ホテル中央玄関)
パンフレット『IMPERIAL HOTEL』
発行1927年~昭和初期|宇都宮美術館蔵
※旧・帝国ホテル ライト館…竣工1923年(大正12)|解体1967~68年(昭和42~43)
※部分移築…博物館明治村(帝国ホテル中央玄関)

『市政要覧』(昭和25年版)より「商工会議所」 発行1950年12月|宇都宮市立中央図書館蔵 ※旧・宇都宮商工会議所…竣工1928年(昭和3)|解体1979年(昭和54) ※部分移築…栃木県中央公園(旧商工会議所ポーチ)
『市政要覧』(昭和25年版)より「商工会議所」
発行1950年12月|宇都宮市立中央図書館蔵
※旧・宇都宮商工会議所…竣工1928年(昭和3)|解体1979年(昭和54)
※部分移築…栃木県中央公園(旧商工会議所ポーチ)

幸いにも、そのごく一部(ともに玄関部分)が移築されましたが、「旧・帝国ホテル ライト館」

http://www.meijimura.com/enjoy/sight/building/5-67.html

「旧・宇都宮商工会議所」(下記のリンクNo.17)

http://www.t-chuokoen.jp/guide/

は、まさに1960年代・1970年代に、東京と宇都宮で、活きた建物としての命を全うしました。

 

この街ならではの視点
それでもなお、「石の街」には、他の都市には見られない貴重な「石の建造物」が残っており、本展の展示・図録に於いては、この街ならではの視点に基づく小項目「張り石と積み石造り」を設け、
①近世に源流がある張り石
②近代(明治・大正・昭和戦前)に発展した積み石造り
③昭和戦後の倉庫(事務所・住宅などを含む)
を取り上げています。
また、②と同時代に考案された「ライト・遠藤(新)による新しい石張り」、その影響や独自な展開(地域に花開いた石の近代建築)については、別に大きな項目を立てましたので、1月8日から始まる展覧会、図録の発売にご期待ください。
以下、その一部を紹介いたします。

 

【張り石】

旧・篠原家住宅の石蔵|2016年|宇都宮市今泉 撮影=大洲大作 photo (C)Daisaku Oozu ※文庫蔵・石蔵…竣工1851年(嘉永4)頃 ※新蔵…竣工1895年(明治28)
旧・篠原家住宅の石蔵|2016年|宇都宮市今泉
撮影=大洲大作
photo (C)Daisaku Oozu
※文庫蔵・石蔵…竣工1851年(嘉永4)頃
※新蔵…竣工1895年(明治28)

近世以前のわが国の「蔵」は、木の柱・梁構造により、内外装を板張りとする「板蔵」が主体で、江戸時代には、外壁に土や漆喰を塗る「土蔵」が現れました。石を産する地域では、土蔵造りの一部、板蔵の外壁全体に「石を張る」建造物が登場します。石材は薄い板状で、これを張り釘で木部に留めます。構造的・意匠的な観点から、石の継ぎ目(目地)に漆喰を施し、開口部周りには、より緻密で硬質な石材を用いることもありました。大谷地区では「張り石」、建築用語としては「石張り」と呼ばれるスタイルの源流です。

 

【積み石造り】

パンフレット『大谷石 CATALOGUE』より「茨城縣水海道市ニ建設セル農業倉庫」 発行1929~30年頃|宇都宮美術館蔵
パンフレット『大谷石 CATALOGUE』より「茨城縣水海道市ニ建設セル農業倉庫」
発行1929~30年頃|宇都宮美術館蔵

作家名不詳(『村の版画』同人)《姿川風景》 昭和初期|宇都宮美術館蔵
作家名不詳(『村の版画』同人)《姿川風景》
昭和初期|宇都宮美術館蔵

「石を積む」構造のものは、明治以降に発展を遂げました。わが国の近代化とともに、煉瓦や石を積み上げる西洋建築が紹介されたこと、ブロック状の重い石材を大量に、遠方まで運搬可能な鉄路の確立が主たる成因です。しかし、それまでの日本に、石を積む伝統が無かったかと言うと、決してそうではなく、小規模・特殊な用途の建造物、土木の世界では、独自の高度な技術が育まれています。明治年間には、こうした伝統と新しい工法・運搬のあり方が出会い、「積み石造り」(大谷地区)こと「組積造」(建築用語)の建築が敷衍します。意匠面でも、新旧の折衷・融合が起こりました。
積み石造りによる大谷石蔵の始まりは、明治中期まで遡れますが、同じ頃に、「積み石風の張り石蔵」というスタイルも試みられました。言わば過渡期的な事例で、いわゆる張り石とは異なり、石の張り方は横方向(積み石風)、補強のためのL形石材をコーナーに回し、目地は漆喰を盛っていません。

 

【戦後の倉庫】

かつての政府米保管庫|2014年|宇都宮市吉野 撮影=橋本優子(宇都宮美術館) ※竣工1952~59年(昭和27~34)
かつての政府米保管庫|2014年|宇都宮市吉野
撮影=橋本優子(宇都宮美術館)
※竣工1952~59年(昭和27~34)

大谷石の住宅模型 1950年代後半|大谷石材協同組合蔵
大谷石の住宅模型
1950年代後半|大谷石材協同組合蔵

記録写真 《平和観音開眼供養の組合展示会》 1956年|大谷石材協同組合蔵 ※伝統的な石蔵、新しい住宅などの石造模型が展示された
記録写真 《平和観音開眼供養の組合展示会》
1956年|大谷石材協同組合蔵
※伝統的な石蔵、新しい住宅などの石造模型が展示された

積み石造りの建物は、戦前から倉庫としての用途が多く、それを客間や居間、寝室に利用する場合、内装を設える必要がありました。
戦後になると、より大規模で、即物的なスタイルの倉庫――石を積み、基礎・軒下周り、コーナー、長くて高い壁の一部、開口部などに補強のコンクリートを併用する構造のものが建てられ、農業、食糧の備蓄、物流などに供します。このスタイルは、小規模の新しい建造物にも影響を及ぼすと同時に、戦前の建物を維持・転用・改築する観点から、「補強のコンクリート併用」が広まりました。