バーガミニと上林敬吉の協働(続)
鉄筋コンクリート造(RC造)の白い礼拝堂群におけるジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニと上林敬吉の協働について、両名の役どころ、効率的な分業体制は、盛岡聖公会二代礼拝堂(現・日本聖公会 盛岡聖公会礼拝堂)の解説で記した通りです。
これらの礼拝堂群で注目に値するのは、一件ごとの完全受注型の設計ではなく、共通の雛形を確立し、そのヴァリエーション展開を試みた点にあります。具体的には、聖公会の伝統を尊重しつつ、近代建築の視点に則り、建造物の標準化を目ざした取り組みだったのです。
必要な空間の基本的な配置、RC造の躯体、切妻屋根を支える木の洋小屋、漆喰塗装と木工でまとめた内装、イギリスに由来する歴史的な様式の組み合わせ、その意匠を素材・工法に合致させることのすべてが標準化の対象となり、だからこそ質の高い礼拝堂を、短期集中で実現するのが可能でした。欧米のゴシック・リヴァヴァイルや、明治・大正年間のアングリカン・ゴシック・リヴァヴァルとは一線を画するモダン・アングリカンという独自なスタイルは、標準化の賜物にほかなりません。
聖オーガスチン教会礼拝堂
本礼拝堂の場合、当初案と実施設計の図面、工事・竣工写真が残されているため、標準化の考え方と、諸条件に即した設計変更の過程、すなわちヴァリエーション展開の有り様を窺い知ることができます。
[下図右]後列中央の人物が上林敬吉です
まず1927年(昭和2)11月19日付の当初案は、建物の端部にある内陣、交差部を挟んで向き合う単廊式の身廊、両翼廊がかたちづくる十字架形平面(バシリカ)を骨組みとし、片方の翼廊を塔屋に充て、それぞれの翼廊の内陣寄りに礼拝準備室と小礼拝堂を置き、身廊の最後部に入口空間を接続させるものでした。
近代の聖公会の礼拝堂としては最も完全で、バーガミニと上林敬吉の礼拝堂群においても、あらゆる要素を備え、その望ましい配置に基づく標準化の基本形です。
礼拝堂の向きは、敷地や道路との関係で導かれ、三方を道路に囲まれた敷地の東に礼拝堂、その東端が内陣とされました。ポーチは北側の道路に面し、玄関間に広間が連なるのは、信徒会館兼司祭館との行き来に鑑みてです。この建物も礼拝堂と同時期に計画され、当初案の全体像は大がかりでした。
しかし当初案と、1927~1928年(昭和2~3)頃の実施設計図、並びに竣工当時の姿をとどめる建物を見比べるならば、非常に簡素になったことがわかります。
小礼拝堂は省略され、南翼廊が短く、北翼廊を塔屋とし、その中に礼拝準備室を設え、玄関間を礼拝堂の北西端に突出させているのです。
加えて、会衆席からの内陣の見え方を変えようとした意図が見て取れます。身廊と内陣の間口の幅が等しいので、視界が開けた印象を与え、計画の縮小に伴い、礼拝堂の規模が変更されたにも拘らず、狭さがまったく感じられません。
奥まった内陣を旨とする近代の聖公会の礼拝堂からすると、よりモダンな設計、ここでいう標準化の考え方では、ヴァリエーション展開の一環ですが、新たな規範の模索とも捉えられます。
高崎に所在する本礼拝堂に関しては、さまざまな点で、浦和諸聖徒教会二代礼拝堂(現・日本聖公会 浦和諸聖徒教会礼拝堂)との類似性が指摘されてきました。減築前の浦和、及び高崎の当初案が標準化の基本形とするならば、後者の実施設計は、一歩進んだ発展例として良いでしょう。
聖オーガスチン教会礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
日本聖公会 高崎聖オーガスチン教会礼拝堂(群馬県高崎市山田町)
●年代
聖別1929年(昭和4)
●設計・施工者
ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ(基本設計)、上林敬吉(実施設計)、熊野組(施工)
●工法・構造
鉄筋コンクリート造平屋建、3層塔屋付
●様式
モダン・アングリカン
●教派
聖公会