建造物めぐり㉛三本木天主公教会二代聖堂、司祭館、幼稚園旧園舎

風土と教会建築

 建造物めぐりのトピックスとして先に記した和風のキリスト教建築教会建築の設計者+続編)では、わが国の風土と、キリスト教の風土をどのようにすり合わせるのか、それを受け止める施設はいかにあるべきか、建築家には何が求められるのかという事柄が浮き彫りにされました。
 ここで挙げる風土とは、あらゆる建築と密接に関わる物質的風土(自然や産業)、精神的風土(信仰や美意識)、両者にまたがる風土(暮らしや社会)を指します。

[下図]設計は非信徒で大工の鐵川與助により、竣工は1918年、翌年に聖別式を挙げました。ローマ・カトリック教会と縁が深い長崎の風土に根ざした聖堂です

 このことについてマックス・ヒンデルは、建物用途の聖俗を問わず、実用性の観点から、引戸、引違窓など日本の家屋のディテールや、地域の手わざ、産業を前向きに採り入れました。
 とりわけ北海道・東北の建造物では、母国と気候が共通するため、スイスの住宅を念頭に、寒冷地に相応しい仕様を近代の視点で実践しています。

[下図]設計はマックス・ヒンデルにより、1925年に聖別されました。フレアード・ルーフと多数の窓、鉄板張は、札幌時代のヒンデルの特徴を示し、スイスとわが国の風土を結ぶ工夫です

フランシスコ会札幌修道院 二代修道院 北東側全景 1977年撮影(天使幼稚園園舎時代)撮影・画像提供:角 幸博 氏(北海道大学名誉教授、歴史的地域資産研究機構代表理事)

 教会建築の場合、何らかのかたちでロマネスクを基調とするスタイルに徹しますが、事例ごとに解釈と展開は多様です。これは、日本近代のローマ・カトリック教会における設計者のあり方や、教区・宣教組織の意向、伝道拠点の個別事情に関係していると考えられます。

[下図]設計はマックス・ヒンデルにより、1928年に聖別されました。妻壁を強調した意匠のロマネスク・ルネサンス・リヴァイヴァルにより、最も大切にされたのは教会の歴史、初代・二代聖堂の記憶という風土です

神田天主公教会三代聖堂(現・カトリック神田教会聖堂)内陣側妻壁 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 すなわち、ミッション・アーキテクト(宣教建築家)を前面に立て、組織としても、日本人信徒の意向もキリスト教の施設に「中世復興」のイメージを求め、それにこだわった聖公会とは異なるかたちで、幅広いタイプの建造物が生み出された結果と言えます。

[下図]基本構想はガブリエル・マリー・ジョセフ・ジロウディアス司祭により、1927年に聖別されました。往年の横浜天主堂を思わせる新古典主義風のファサードが特徴的です

築地天主公教会三代聖堂(現・カトリック築地教会聖堂)全景 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 明治・大正年間はもとより、昭和戦前でさえも、ローマ・カトリック教会の聖堂では板張の床を畳敷とする会衆席がしばしば見られ、ヒンデルの事例も同様でした。しかし、だからと言って、教派と設計者が「和風のキリスト教建築」を意識したと結論づけることはできません。むしろ当時の一般会衆の服装や所作、生活習慣を考慮すべきでしょう。

[下図]設計はマックス・ヒンデルにより、1931年に聖別されました。かつては身廊(会衆席の)左半分も畳敷で、外観はスイスの木造教会堂を下敷きとしています

 逆に、聖公会の礼拝堂、プロテスタント教会の会堂、これらの教派が推進したミッション・スクールの建築においては、日本人に「西洋(英米)の文化」を訴求するような意図が強く感じられ、事実、信徒の側もそのことを期待した点に眼を向けねばなりません。

三本木天主公教会二代聖堂、司祭館、幼稚園旧園舎

 竣工当時、本聖堂は司祭館、幼稚園(現・学校法人東北カトリック学園 十和田カトリック幼稚園)と一体的な複合施設でした。そして、教会、住宅や学校をめぐるヒンデルの建築思想、風土に関する考え方が凝縮された事例と評すことができます。

三本木天主公教会(現・カトリック十和田教会)二代聖堂、司祭館、幼稚園旧園舎 全景 1949~1964年頃撮影(移築・改修前)畔柳 武 編(1984)『光を受けて:カトリック十和田教会堂の建築』十和田:カトリック十和田教会 所収 所収文献所蔵・画像提供:カトリック十和田教会

 往年の聖堂は、内陣が北西にある十字架形平面(バシリカ)で、身廊、側廊に切妻屋根、内陣・後陣と翼廊には空間の形状と同じ半八角形の屋根が架かっていました。

三本木天主公教会二代聖堂(現・カトリック十和田教会聖堂)の模式図 作図:church2023.jp

 身廊の入口側に鍔付きとんがり帽子形の八角屋根を戴く四角い塔屋が聳え、この姿かたちは戦後の移築・改修を経ても変わりません。

三本木天主公教会(現・カトリック十和田教会)[左]移築工事 1964年撮影 100周年記念事業実行委員会 編(1984)『100年:十和田カトリック教会100周年記念誌』十和田:カトリック十和田教会 所収 所収文献所蔵・画像提供:カトリック十和田教会[右]現在の聖堂全景 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 ただしかつての聖堂は、その南東に位置する2階建の幼稚園と接合され、両者の玄関間が同一の空間だったので、聖堂の南東妻面は一部のみ表に現れました。
 やはり2階建の司祭館は、聖堂の南西中央から翼廊手前までの位置に突き出し、ポーチの向きが南東、幼稚園のポーチも南西のため、施設の正面は尖塔上の十字架を横に見る南西側です。

マックス・ヒンデル建築設計事務所《三本木天公教会設計図 姿図及び断面図》より「正面図」部分)1932年以前 所蔵・画像提供:カトリック十和田教会

 塔屋を別にすると、棟の高さは聖堂、幼稚園、司祭館の順で、すべての屋根は勾配が少しずつ異なるフレアード・ルーフを採用し、幼稚園と司祭館の2階には小屋根付の採光窓を設けています。よって全体として、非常に複雑な外観だったのです。

三本木天主公教会二代聖堂(現・カトリック十和田教会聖堂)内部 撮影年代不詳 畔柳 武 編(1984)『光を受けて:カトリック十和田教会堂の建築』十和田:カトリック十和田教会 所収 所収文献所蔵・画像提供:カトリック十和田教会

 聖堂内部は、板張・一部畳敷の身廊を方円柱頭の木製円柱、垂れ壁で囲み、現在はない聖体拝領台が内陣の手前に置かれていました。

三本木天主公教会二代聖堂(現・カトリック十和田教会聖堂)内部 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 身廊入口側と側廊の階上は列柱、垂れ壁が並ぶギャラリーで、平天井を擁し、側廊のギャラリー下には四分ヴォールトが連なります。これらの垂れ壁、側廊の高窓は半円アーチで統一し、聖体拝領台の意匠も同様です。

三本木天主公教会二代聖堂(現・カトリック十和田教会聖堂)2階円柱 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 2階円柱の造作は日本の伝統工法により、背割りに埋木のうえ、随所に楔が打ち込まれています。一方、1階円柱は、厚さ約13ミリメートルの板材(中空円筒に加工した製材を繊維方向に四分割したような材)を円柱に張り付けた仕様です。

三本木天主公教会二代聖堂、司祭館、幼稚園旧園舎の建造物概要
●今日の名称(所在地)
カトリック十和田教会聖堂、司祭館(青森県十和田市稲生町)
※幼稚園旧園舎は現存せず
●年代
聖別1932年(昭和7)
●設計・施工者
マックス・ヒンデル(設計)、宮内初太郎(施工)
●工法・構造
木造2階建、聖堂は3層塔屋付
●様式
特定の様式によらない(内部はロマネスクを基調とする)
●教派
ローマ・カトリック教会