中世復興を意識した近代建築
ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニと上林敬吉の協働により、昭和戦前に次々と建てられた礼拝堂群をめぐっては、両者の役割分担について盛岡聖公会二代礼拝堂(現・日本聖公会 盛岡聖公会礼拝堂)、建造物の標準化を聖オーガスチン教会礼拝堂(現・日本聖公会 高崎聖オーガスチン教会礼拝堂)の解説で記した通りです。
標準化の一環として編み出された独特な様式、すなわちモダン・アングリカンは語句解説でも取り上げています。
[下図]1932年(昭和7)に聖別の本礼拝堂は、バーガミニと上林の共作、モダン・アングリカンの最終形の一つです
彼らがこのような礼拝堂を手がけた背景には、伝道拠点と宣教組織の意向がありました。
そのことに関して、二代礼拝堂の建造・聖別時に秋田聖救主教会(現・日本聖公会 秋田聖救主教会)を牧したノーマン・S・ハウエル司祭は、米国聖公会伝道局の広報誌 The Spirit of Missions 誌上で、耐震性、寒冷地ならば耐寒性に優れ、堅固で維持管理に費用を要さず、仏教寺院との明確な識別を図ることが可能という理由で、当時の日本人信徒が鉄筋コンクリート造(RC造)でゴシック風の礼拝堂を志向した点を指摘しています(*)。
(*)Howell, Norman S. “Strengthening the Church in the Tohoku.” ハウエル司祭の寄稿には下図が添えられ、本礼拝堂の聖別が報じられました
ここでいう「RC造のゴシック風」とは、西洋近代のゴシック・リヴァヴァイルを踏まえ、明治・大正年間に試みられたアングリカン・ゴシック・リヴァヴァルではなく、明らかに「中世復興を意識した近代建築」を意味します。つまり、バーガミニと上林の礼拝堂群を指し、その特質を的確に言い表しているのです。
ハウエル司祭は教会建築の専門家ではありませんが、わが国の風土と建築文化に関する観察眼が鋭く、「RC造のゴシック風」以外にも、台風が多い西日本では、民家の屋根に石を載せ、豪雪に見舞われる北日本の場合、街路から建物に入るために、掻いた雪の山に段を設けねばならないことなど、興味深い記述が見られます。
[下図]中央は秋田聖救主教会二代礼拝堂(現・日本聖公会 秋田聖救主教会礼拝堂)内部 1930年撮影(聖別時)
秋田聖救主教会二代礼拝堂
北東に設けた内陣、南西に長い身廊、南東・北西の翼廊が十字架形平面(バシリカ)を呈する本礼拝堂は、バーガミニと上林の礼拝堂群のなかで、空間の構成要素、それらの配置が基本に忠実で、ディテールの造作においても完成度が高い模範的事例と言えます。
礼拝準備室は南東翼廊の内陣寄りにあり、これに融合した塔屋、並びにポーチは身廊の南東に置かれました。塔屋とポーチが道路に面することや、間口の幅が身廊と等しいため、ゆったりとして見える内陣は、聖オーガスチン教会礼拝堂(現・日本聖公会 高崎聖オーガスチン教会礼拝堂)に似通う印象です。
また、盛岡聖公会二代礼拝堂(現・日本聖公会 盛岡聖公会礼拝堂)と同様、身廊と塔屋を隔てる壁に高窓を設け、彫刻を施した木の手すりで囲み、バルコニー席のように張り出させています。屋根を支えるシザーズ・トラス(鋏形洋小屋)、内装や家具が聖公会の伝統に則るのは言うまでもありません。
設計者のこだわり、他の事例との差別化が窺われるのは、塔屋のディテールです。窓の左右に細長い控え壁を付し、四面の上下に及ぶので、隅部には控え壁が二本ずつ現れ、その間の角にも控え壁があるため、意匠的には複雑さを増し、技巧美さえ感じられます。
これに呼応するよう水切りを二段とした控え壁は、建物の随所に現れます。
一方、風土に適した実際的なディテールとしては、埼玉県の大宮より北の寒冷地に共通の煙突が築かれました。
秋田聖救主教会二代礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
日本聖公会 秋田聖救主教会礼拝堂(秋田県秋田市保戸野中町)
●年代
聖別1930年(昭和5)
●設計・施工者
ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ(基本設計)、上林敬吉(実施設計)、施工者不詳
●工法・構造
鉄筋コンクリート造平屋建、3層塔屋付
●様式
モダン・アングリカン
●教派
聖公会