建造物めぐり㉜郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂

日本人の信徒建築家

 「教会建築の設計者(続)」で記した通り、日本近代のキリスト教界において、宣教組織に帰属するミッション・アーキテクト(宣教建築家)が教派の施設を主体的に手がけ、彼らを母国から派遣したのは米国聖公会でした。

[下図]設計はジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニにより、1932年(昭和7)に聖別されました

立教女学院聖マーガレット礼拝堂 ポーチ 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 では、ミッション・アーキテクトを支え、設計・監理の実務を担う立場の日本人建築家はどのような位置づけだったのでしょうか。この点については、ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーに師事し、ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニと協働を行った上林敬吉の生き方、努力と知られざる苦労に多くの事柄が読み取れます。

下図]設計はジェームズ・マクドナルド・ガーディナーにより、入所した上林敬吉が初めて担当した監理現場です。1907年(明治40)に聖別されました

 ガーディナー事務所の勤務時代(1906~1925年)、上林の眼に顕在化されたのは「聖公会の建築家」を任ずるための高いハードルでした。すなわち、
①個別の伝道拠点ではなく、在外母体(米国・英国・カナダ聖公会)、日本に派遣された要人聖職者、わが国における中枢組織(日本聖公会)の信任を得る
②たとえ信徒であっても、建築の実績や、教界の人脈がない場合、在外母体・中枢組織、要人聖職者に通じた人物の指導を仰ぎ、学びと場数を重ね、継続的に奉職する
③そうした人物とは、キリスト教の伝統、国内外の諸事情に詳しい日本在住の外国人建築家(米国聖公会ならばミッション・アーキテクト)で、明治・大正・昭和戦前を通じて、重要な建造物のほとんどが彼らの独占市場だった
という現実です。

下図]基本設計がジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ、実施設計は上林敬吉により、1932年(昭和7)に聖別されました

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(現・日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂)南側面のステンドグラス 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 ガーディナーの下には複数の日本人所員がいましたが、独立後も「聖公会の建築家」として活躍したのは上林だけでした。
 少年時代から聖公会に触れ、18歳で受洗した(1902年)上林の場合、自身の事務所を持つようになり(1925年)、すぐさま教派の仕事を単独で任されたわけではありません。常に上記の①②③を真摯に受け止め、バーガミニとの協働時代(1925~1936年)を経て、52歳で聖路加国際病院(母体は米国聖公会)の理事会指名建築家に抜擢されたのです(1937年)。

[下図]全体構想・基本設計はアントニン・レーモンド、ヤン・ヨセフ・スワガー、ベドジフ・フォイエルシュタイン、実施設計がジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ、増築部分の実施設計についてはスワガーと上林敬吉が関わり、病院・学校の奉献は1933年(昭和8)でした

聖路加国際病院(現・学校法人聖路加国際大学)完成予想鳥観図 1929年 Episcopal Church, Domestic and Foreign Missionary Society ed. The Spirit of Missions. (May, 1929) Burlington: J.L. Powell. 所収 所収文献所蔵・画像提供:立教大学図書館

  生涯にわたって「信徒建築家」に徹した上林の人生は、信仰も設計活動もたゆまぬ努力の積み重ねと言えます。

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂

  本礼拝堂は、ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニと上林敬吉の協働による礼拝堂群の締め括りに位置づけらます。しかもその細部、上林が残した二種類の図面から、新しい方向性と、日米の聖公会の意向が窺われる点で興味深い事例と言えるでしょう。

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(現・日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂)全景 2022年撮影 撮影:church2023.jp

 建物は道路に対して平行の東西に長い平面を呈し、内陣が西端にあります。1階が礼拝準備室の塔屋は北翼廊を成し、北側面の東にあるポーチも北を向いています。

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(現・日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂)の模式図 作図:church2023.jp

 塔屋は頂部の意匠がノルマン風で、3層目に二つの尖頭窓、2層目は細長い矩形窓が一つ、四隅の控え壁の水切りは4段です。すなわち浦和諸聖徒教会二代礼拝堂(聖別1928年)、盛岡聖公会二代礼拝堂(聖別1929年)、聖オーガスチン教会礼拝堂(同)、秋田聖救主教会二代礼拝堂(聖別1930年)、福井聖三一教会礼拝堂(聖別1932年)で展開してきた「モダン・アングリカンの標準化礼拝堂」の総集編と評すことができます。

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(現・日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂)全景 1932年頃撮影(竣工当時)郡山聖ペテロ聖パウロ教会、附属セントポール幼稚園編(1985)『聖公会宣教八十年 幼稚園創立三十年 小史』 郡山:郡山聖ペテロ聖パウロ教会、附属セントポール幼稚園 所収 所収文献所蔵・画像提供:日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会

 しかし塔屋の南西角に階段室(八角柱の4分の1)を付し、身廊の東南角に佇む洗礼盤の小空間を東側面から覗かせ、ともに色ガラスの矩形窓で彩る設えは、他に類例がありません。玄関間も切妻屋根の身廊とポーチから独立しており、低い寄棟屋根を戴きます。

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(現・日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂)[左]塔屋と階段室[右]洗礼盤 ともに2022年撮影 撮影:church2023.jp

 竣工時と変わらない礼拝堂は、1931(昭和6)年7月7~13日と記される9枚の図面通りですが、同年6月23~29日付の別の9枚は、その様相が大いに異なります。
 内陣が東端、ポーチを兼ねる塔屋は身廊西北に計画されたのです。南翼廊を長めに採り、その東に礼拝準備室、別棟に通じる廊下を設け、洗礼盤は身廊西端の中央でした。王冠状の頂部、四隅の控え壁を排した塔屋は、それまでの礼拝堂群のスタイルを脱しています。

[下図]採用されなかった第二の実施設計案

上林敬吉建築設計事務所《郡山聖公会礼拝堂 立面図》より「側面図」部分 1931年 所蔵・画像提供:日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会

 結局、日米の聖公会は、今日見る礼拝堂の姿を採択し、バーガミニを立てたと考えられます。ただし二組の図面は、どちらも綿密な実施設計図で、1週間の隔たりしかなく、6月26日付の10・11枚目(内陣建具の現寸図)が共通のため、上林が別案に思い入れを持ち、事前準備していたのは疑いようもありません。

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(現・日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂)内部 2022年撮影 撮影:church2023.jp

郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(福島県郡山市麓山)
●年代
聖別1932年(昭和7)
●設計・施工者
ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ(基本設計)、上林敬吉(設計)、施工者不詳
●工法・構造
鉄筋コンクリート造平屋建、3層塔屋付
●様式
モダン・アングリカン
●教派
聖公会