それぞれのアングリカン・スタイル
大正末期から昭和初期にかけて、日本聖公会の北東京地方部(のち北関東教区)や東京教区では、いくつもの新しい礼拝堂が建造され、これらの設計にはミッション・アーキテクト(宣教建築家)のウィリアム・ウィルソンとジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ、信徒建築家の上林敬吉が関わりました。
ここではそれぞれの単独設計により、規模がそれほど違わない三つの礼拝堂の比較を通じて、三人の建築家の特性に眼を向けます。
Ⓐ川越基督教会三代礼拝堂
「人物略歴」でも記した通り、米国聖公会ミッション・アーキテクトのウィルソンは、その経歴と業績が未だに不確かな人物です。
明らかにウィルソンが単独で手がけたと考えられる数少ない教会建築は、いずれも手堅い設計の煉瓦造で、イギリスに由来するアングリカン・ゴシック・リヴァイヴァルの質朴な側面を打ち出したスタイルに徹しています。言い換えると、アメリカで展開したアーツ・アンド・クラフツ運動の系譜に近い感覚や、世俗の産業建築に通じる実用性が窺われます。
このうち川越の本礼拝堂と、熊谷聖パウロ教会二代礼拝堂(現・日本聖公会 熊谷聖パウロ教会礼拝堂)は、双子のように似通うと言われてきました。
事実、内陣と身廊を擁する直方体の建物に切妻屋根を架け、正面妻壁の左に正四角柱の塔屋、内陣に向かって左に礼拝準備室を置く平面は同一です。
建物の東側以外の三面に並ぶ尖頭形の窓の造り、数についても等しく、両者の類似性は、その頃に川越を牧した田井正一司祭が熊谷の図面を見て、同じような礼拝堂を望んだこと(1920年)によります。
二つの礼拝堂の違いは、内陣の方角と、躯体を成す煉瓦の積み方だけという指摘さえあり、川越の礼拝堂は内陣が東に位置し、煉瓦はフランス積です(熊谷は内陣が南南西で、煉瓦はイギリス積)。
ただしポーチを兼ねた塔屋は、年代が後の本礼拝堂に工夫が見られます。
それは、1層目の三面はアーチの下を塞ぎ、尖頭部にはガラス窓を嵌め、道路側に玄関扉を設えたことです。よって川越の場合、玄関間が塔屋内にあり、西向きの正面性も強調されています。
また、両側面の控え壁は、石の水切りが2段のため、構造上の堅固さに加えて、簡素な建物に控えめな華やぎがもたらされました。
[下図]祭壇の前に立つ人物は、当時この教会を牧した田井正一司祭です
内部の造りも熊谷に倣い、身廊に対して内陣の間口の幅を狭めていません。煉瓦が露わな側壁の上部には、シザーズ・トラス(鋏形洋小屋)が横断します。
会衆席より3段上がった内陣手前の左に説教壇、右は聖書台、これらの奥両脇が共唱席で、さらに1段高い至聖所の中央に祭壇を設ける設えは、聖公会の近代的な伝統に則り、設計者を問わず、この教派の礼拝堂に共通のものです。
川越基督教会三代礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
日本聖公会 川越基督教会礼拝堂(埼玉県川越市松江町)
●年代
聖別1921年(大正10)
●設計・施工者
ウィリアム・ウィルソン(設計)、清水組(施工)
●工法・構造
煉瓦造平屋建、2層塔屋付
●様式
アングリカン・ゴシック・リヴァイヴァル
●教派
聖公会
Ⓑ東京諸聖徒教会礼拝堂
米国聖公会のミッション・アーキテクトのなかで、明治・大正年間を牽引したジェームズ・マクドナルド・ガーディナーの亡きあと、昭和戦前に活躍するのがバーガミニです。
バーガミニの場合、事務所や所員を持たないかたちで、単独の取り組みと、上林敬吉との協働を展開し、前者については、建造物の規模、性質や位置づけにより、それぞれに最適な手法と体制、スタイルを採用しています。後者に関しても、自身は基本設計、実施設計と現場監理を上林に任せるというやり方で進め、「礼拝堂の標準化」を実現しました。すなわち、ある意味では実際的なモダニストを貫いた人物と評せます。
本項で取り上げるウィルソン、上林の事例と比較するに相応しい中規模の礼拝堂で、バーガミニらしさを示す単独設計のものとしては、東京諸聖徒教会(現・日本聖公会 東京諸聖徒教会)の新築が挙げられます。
内陣を南西に置き、その間口の幅を単廊式の身廊に揃えた造りは、今日も変わりません。
ただし竣工当時は、両者の北西に細長い空間が張り出し、内陣の壁向うが礼拝準備室、身廊寄りは小礼拝堂でした。屋根を支える木造トラスも、当初はキング・ポスト・トラス(心束式洋小屋)が採用されました。
身廊の入口側は四角い塔屋へ続き、その北西にも玄関間、ポーチを成す矩形の空間を配しています。
内陣、身廊、礼拝準備室、小礼拝堂に架けた切妻屋根と破風、塔屋上の八角形の尖塔屋根を取り去れば、大小二つずつの直方体、正四角柱を組み合わせた「白い箱」を呈します。
鉄筋コンクリート造の場合、機能より意匠の観点で付される水切りのある控え壁を始め、尖頭形や矩形の窓、ポーチの形状、その周囲の紋章レリーフなど、教会建築ならでは意匠は限定的です。
[下図]現在、この教会では礼拝堂の南東側に接続していた施設を建て替える事業が始まったばかりです
このようにバーガミニは、教会建築の伝統の造詣が深く、根底でモダニズムを強く意識しながら、施設ごとの特性、施主や使い手の意向に鑑みて工夫を図り、個別対応、全体調和に長けた建築家だったと言えます。
しかし聖路加国際病院、聖路加礼拝堂(現・聖路加国際大学、聖ルカ礼拝堂)で病院側(米国聖公会)とそりが合わず、この大事業から手を引いたアントニン・レーモンドは、事態の収拾を図り、病院と礼拝堂を完成させたバーガミニの仕事を評価しませんでした。
東京諸聖徒教会礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
日本聖公会 東京諸聖徒教会礼拝堂(東京都文京区千石)
●年代
聖別1931年(昭和6)
●設計・施工者
ジョン・ヴァン・ウィー・バーガミニ(設計)、清水組(施工)
●工法・構造
様式鉄筋コンクリート造平屋建、2層塔屋付
●様式
モダン・アングリカン
●教派
聖公会
Ⓒ大宮聖愛教会礼拝堂
「建造物めぐり」の連載で詳しく解説してきたように、上林敬吉はバーガミニと協働した「白い礼拝堂群」を通じて、空間配置や工法と結び付いたモダン・アングリカンというスタイルを達成します。
以降、それまでの経験値に基づき、単独設計の宇都宮聖約翰教会礼拝堂(現・日本聖公会 宇都宮聖ヨハネ教会礼拝堂)、そして大宮聖愛教会礼拝堂(現・日本聖公会 大宮聖愛教会礼拝堂)で新しい境地を探り始めました。
大宮の本礼拝堂は、道路と建物の長辺を揃え、内陣は西(西南西)、ポーチが南(南南東)にあり、空間配置は定石通りと言えます。
翼廊は当初からオルガン空間を想定し、これに続く礼拝準備室とともに、北(北北西)側にまとめられました。内陣と身廊の間口の幅は同一です。
塔屋がないため、総じて簡素で機能的な造りですが、逆に内陣、身廊、ポーチの鋭角な妻壁が際立つので、礼拝堂らしさは損なわれていません。
他の「標準化された礼拝堂」の事例と同様、躯体は堅固な鉄筋コンクリート造とし、その冷たい物質感を温かい色味のリシン仕上げで和らげました。
特徴的なポーチは、左右の控え壁上部を郡山聖ペテロ聖パウロ教会礼拝堂(現・日本聖公会 郡山聖ペテロ聖パウロ礼拝堂)でも採用した葡萄図案で彩っています。
一方、ペディメントに銅板の笠木と化粧柱を付す仕様は、大宮でしか見られないものです。
[下図]竣工時は北北西側のステンドグラスが中庭に面し、会衆席に明るい光を注いでいました
この教会で何よりも注目すべき点は、礼拝堂と、その北に建てられた信徒会館の一体性にほかなりません。両者を東端の内廊下で結び、この空間と翼廊の間に中庭を置くことで、どちらも採光や通風を確保し、内廊下の道路側には玄関間が設けられました。
全体としての使い勝手に鑑み、かつ木造二階建の信徒会館の高さ、立面の意匠を礼拝堂と調和させる配慮は、竣工の約一年前に引かれた最初期の図面に明らかです。
大宮聖愛教会礼拝堂の建造物概要
●今日の名称(所在地)
日本聖公会 大宮聖愛教会礼拝堂(埼玉県さいたま市大宮区桜木町)
●年代
聖別1934年(昭和9)
●設計・施工者
上林敬吉(設計)、清水組(施工)
●工法・構造
鉄筋コンクリート造平屋建
●様式
特定の様式によらない(内部はモダン・アングリカンに準じる)
●教派
聖公会